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2014年11月03日

【知道中国 1126回】「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野11)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1126回】    一四・九・仲五      

――「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野11)
 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店)
 
 宇野は「滿洲に於ける支那人の多くは山東出身である。馬賊の大部分も山東人である。山東人は體質も強壯且つ偉大で」あるとするが、満州で彼らは「山東棒子」「山東児」と呼ばれ蔑まれていた。「棒子」とは棒のこと、「棒子」とは貧しく妻子もない落ちぶれ者という意味らしい。

 「由来山東人は『支那の面子を毀損する者は山東人なり』と云はれ、流氓又は苦力として支那の内外各地に白蟻の如くに侵入して行き、生きるために如何なる不道徳的手段をも考慮せずして、遂には白蟻の高樓を覆へすが如き破壞をなすため、他省の者より斯く輕蔑せられてゐ」(滿洲國警務総局保安局『極秘 魔窟・大觀園の解剖』原書房 昭和57年)た、とも。そういえば、毛沢東夫人の江青も、「中国のべリヤ」とも「毛沢東の特務」とも呼ばれた康生も共に山東人だった。この2人もまた共産党政権の「面子を毀損」したことにかけては人後に落ちないだろう。とはいうものの、共産党政権の面子そのものがナンボノモンジャイ・・・ではありますが。

 再び宇野の旅に戻る。済南から西して泰山を過ぎれば、いよいよ孔子を祀る曲阜に近づく。さすがに正真正銘の儒学徒である。宇野の心は高鳴るばかりだ。

 「南方遙に/曲阜/を望む。城上高く黄色の甍見ゆるは蓋聖廟である。〔中略〕城北に一帶の檜の森鬱然として廻らすに壁を以ってせるは、まがう方なき至聖林である。予等は譬へばヱルサレムを望見した十字軍の諸士もかくやと斗り歓天喜地、頻りに鞭を擧げて幾もなく曲阜城北吉陞店に着す。時に午後六時、此日行程百里」

 「ヱルサレムを望見した十字軍の諸士もかくやと斗り歓天喜地」とは些か大袈裟だとは思うが、儒学徒を任ずる宇野としては当たり前のことかもしれない。遂に孔子廟の最奥に納まった孔子像に正対するが、中国人への冷静な観察眼は完全に消え失せ、単なる孔子教徒、いや孔子オタクへと変身してしまうのだから、げに“信仰”とは空恐ろしいものだ。

 「予等は馬を下りて〔中略〕鞠躬如として堂に上れば、見よ正面には聖人在ませり。王冠を戴き袞龍の御衣を着し端坐し給ひ、眉目の間には無限の仁愛を表はし口には笑を含み循々として教を垂れ給ふが如し。覺えず頭を垂るれば聖靈髣髴として咫尺の間に來格し、視ずして其神を見、聽かずして其聲を聞き、眇たる此の小?直ちに偉大なる聖靈に攝取せられ恍然として我あるを知らず、又人あるをみず」

 この数行の記述からだけでも宇野の舞い上がりぶりが見て取れるだろう。やがて些かの落ち着きを取り戻し、左右に目を転ずれば、復聖顔子、迹聖子思子、宗聖曾子、亞聖孟子、閔子冉子、端木子、仲子、卜子、有子から朱子まで孔子の教えを伝え広めた聖人像のオンパレードだ。「こゝに古の聖賢と一堂の下に會することを得て、萬感胸に集まり其の緒を知らず」と。まるで憧れ続けた大スターに出会った際の熱狂的ファンそのものだ。

 毛沢東に会った際、周恩来に、ケ小平に、江沢民に、胡錦濤に対し・・・“大物”と世評の高い政治家やら財界人、著名文化人など多くの日本人がほぼ例外なく舞い上がり、孔子像に出会った宇野と同じように、「小?直ちに偉大なる聖靈に攝取せられ恍然として我あるを知らず、又人あるをみず」して、遂には「萬感胸に集まり其の緒を知ら」ざる情況に陥ってしまい、挙句の果てに相手の術中に嵌ってしまう。その顕著な一例が、数年前の胡錦濤を前にした菅首相(当時)のブザマな姿であり、小澤一郎に引率されて北京を詣で胡錦濤に“謁見”を賜った民主党の議員たちだ。

 宇野が孔子像に我を忘れる程度は許せるものの、やはり首相以下が彼の国で、彼の国民の目の前で醜態を曝すことだけは断固として許されないことだろう・・・に。《QED》
posted by 渡邊 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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