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2014年11月07日

【知道中国 1128回】「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野13)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1128回】       一四・九・仲九

 ――「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野13)
 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店)

 だが、山東一帯の住人は孔子の時代は純朴だったものの、時代が下るに従って荒んできたわけではないだろう。有体にいうなら孔子の時代から、いや、そのもっと昔から、「人情唯利を見て義を知らず、浮薄背信至らざるなき」情況だったと考えるべきではないか。

 世に「『論語』読みの『論語』知らず」というが、まさに宇野がそれだ。「人情唯利を見て義を知らず、浮薄背信至らざるなき」社会で、日本人が金科玉条のように読み伝えてきた『論語』が説く道徳律など、まさに屁の役にも立たないはず。それは毛沢東の時代、『毛主席語録』が説くような中国人と中国社会が存在しなかったことと同じということ。

 『論語』が説く社会規範が、昔から「聖人墳墓の地」を統べていたと考えていたとするなら、それは買い被りであり、大いなる誤解だと強くいっておきたい。宇野のような立場の学者がもたらした誤解が拡大再生産された挙句の果てに、日本人は『論語』が説く中国と中国人をホンモノと思い込んでしまった、というわけだ。なんとも間抜けな話ではある。

 山東省を西に抜けて河南省に入ると、そこで宇野は「支那服を着て辮髪を垂れた獨逸人に遇ふた」。なぜドイツ人は、しかも弁髪で河南の田舎を歩いているのか。「獨逸人山東經営の手はかくの如くにして遠く河南の境にまでも及んでいる」のだ。かくて宇野は「志ある人は決して輕々に看過してはならぬ」と警鐘を鳴らすことを忘れない。

 そういえば15年ほど前。ミャンマー東北の中国との国境地帯を歩いていた時、ランドクルーザーで旅行中のドイツ人の地質学者と言葉を交わしたことがある。なぜ、ドイツ人が、こんな場所に。彼は「地下資源探査だ」と。ドイツ人の「手はかくの如くにして遠く」ミャンマー東北までも伸びていたのだ。タンシュエ軍事独裁政権全盛の頃であった。

 さて再び三度宇野の旅に戻る。

 宇野は河南省を歩きながら「由來支那婦人は?にして御し難い。故に孔子も女子と小人とは養ひ難しと云つたのである」と考え、「世人往々支那を稱して男尊女卑の國といふ、成程古來の風習によつて女子の社會上に於ける地位極めて低いのは事實であるが、家庭に於ける婦人の權利は甚だ弱い、外觀は格別であるけれど、實際は案外女尊男卑と云つてもいい位である。女子にも案外人物が少なくない」と続けている。

 そういわれてみれば、良くも悪くも中国の近現代史を彩った女性を思いつくままに拾いあげてみると、孫文の宋慶齢からはじまって、蒋介石の宋美齢、毛沢東の江青、林彪の葉群、劉少奇の王光美、周恩来のケ頴超、ケ小平の卓琳、近くでは温家宝の張培莉、薄熙来の谷開来を経て習近平の彭麗媛まで。彼ら夫婦の歩みを政治的側面から追い掛けてみるなら、やはり「外觀は格別であるけれど、實際は案外女尊男卑と云つてもいい位である」といえないこともない。

 歴史に「もし」はありえない。だが宋慶齢が存在しなかったら、晩年の孫文があれほどまでに左傾化しただろうか。宋美齢が得意の英語を駆使してルーズベルト以下のワシントン要人を丸め込み、アメリカ社会に同情心を喚起しなかったら、蒋介石の対日戦略は大いに違っていたはずだ。江青が政治権力の亡者でなく貞淑な妻だったら、毛沢東の尻を引っ叩いて文革なんぞをおっぱじめることもなかったろう。王光美がハデに振る舞うことなく江青の嫉妬心を逆撫でしなかったら、劉少奇は文革で無残な仕打ちを受けはしなかったに違いない。張培莉が超弩級の金銭亡者でなかったなら、温家宝だって2千数百億円規模の“不正蓄財”に励みはしなかっただろう。谷開来が怪しげな英国人に“籠絡”されなかったら、今ごろ薄熙来は党中央常務委員として北京で権力を恣にしていた・・・かも。

 彼女らは「?にして御し難」く、家庭では「女尊男卑と云つてもいい位」です。《QED》
posted by 渡邊 at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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