h230102-0340-2.jpg

2014年12月21日

【知道中国 1132回】「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野17)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_hyoshiphoto.jpg

【知道中国 1132回】       一四・九・念九

 ――「実に多くの点において物を糊塗することの巧みなる・・・」(宇野17)
 『支那文明記』(宇野哲人 大正七年 大同館書店)

 「幾度か床蟲に夢を破られ」る一方、時に「雨で道路は泥濘車輪の半ばを没」し、「馬の行きなやむこと甚し」というから、さぞや悪戦苦闘の旅だったに違いない。

 やがて孟津。殷の紂王を征した武王以来、幾多の英雄が勝利の戦に向かい、時に敗残の兵を率いて壊走しつつ、通り過ぎて行った黄河の渡しである。

 宇野の目は、渡し場に張り出された黄河の渡河料金表に注がれた。荷馬車、家畜、轎など細かく示されているが、一番安いのが通行人で1人は「二十文」、一番高いのが「霊柩一千文」。その差は500倍。なぜ、「霊柩」が河を渡るのか。

 かつて出稼ぎ先で死んだ場合、亡骸は棺に納められ、故郷に送り届けられていた。異郷の土にはなりたくない。故郷の母なる土に還ってこそ人生は全うされると考えられていたのだ。「入土為安(故郷の土に還ってこそ心安らかなれ)」である。そこで運柩とも運棺とも呼ばれる専門ビジネス、今風に表現するなら棺の宅急便業者のネットワークが張り巡らされていた。つまり運柩が日常化していたからこその「霊柩一千文」である。

 死者は生者の500倍という料金設定が高いか安いかは別に、時に棺の渡河料金を払えない事態も発生し、かくて棺を置いたまま遁走する業者もあったらしい。引き取り手もないままに、2年、3年と渡し場で風雨に晒されたら、如何に頑丈な棺でも壊れる。壊れたらどうなるか。おそらく宇野も、旅のどこかで、壊れた棺と変わり果てた死骸――凄惨としか形容しようのない情景を目にしたことだろう。

 無事に黄河を渡った先に洛陽の街はあった。

 宿に入る。宇野を案内した下級兵士が寺社の案内料金として1500文を渡してくれと求める。だが、寺社の入場料金は650文ということだから、この兵士は、案内を機に850文(=1500−650)を懐に入れようとした。事情を知った後、宇野は「支那人氣質はこの一端にも現はれ面白し。(河南一帯の人々の)人氣は外人を欺負すること甚しく、北京に比して更に狡詐なることを覺ゆ」と。

 洛陽では朱子などを祀った祠堂を訪ねるが、「祠前は或は耕されて畑となり、或は草茫々たり、甚しきは祠堂内に藁を貯へ、其傍は尿女溺の惡臭紛々たり」。時には篤志家が祠堂の修復を試みただろうが、この惨状を前に「無學無恥の徒、神靈を犯し、靈域を汚すこと如斯、眞に度し難きものと云わねばならぬ」と怒気を強める。宇野と旅を共にする桑原も、「(祠堂の所領は)民人に占侵せられ、塵埃堆積、門扇傾覆、春秋の祭典は、全く没精神・無意味にして」と記している。往昔の大賢人を祀る祠堂も、この始末。全くもって処置ナシ。情けなさを通り越して、呆れ果てるばかりのバチ当たり達であることだけは確かだ。

 確かに中国本土のみならず、台湾、香港、マカオ、はては東南アジア各地のチャイナタウンを訪ねて驚くことは、寺社廟の呆れ返るくらいの汚らしさ。あの汚さに平然としている彼らに、果たして信仰心はあるのか。大いに首を傾げざるを得ない・・・あるわけないとは、思いますが。

 やがて洛陽を発し、さらに西に進む。「途上二人の西洋人に逢ふ。これは此地方に居る宣教師である」。問題は、この西洋人だ。なんでも「數日前一の西洋人あり片言隻語の中國語に通ぜず、何故ありてか其の僕を撲殺し」てしまった。その西洋人が宣教師であったかどうかは別に、宇野は西洋人を指して、「彼等が眼中人なく、亂暴を極むること最も憎むべし。支那人が洋鬼と稱し慊惡するも尤もである」と。

 さらに西へ。臭蟲の襲来はことのほか激しく、前夜は「殆ど一睡も成し難かつたから疲勞甚しく馬上に眠」る始末。それにしても西洋人といい臭蟲といい・・・迷惑千万。《QED》
posted by 渡邊 at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
空き時間に気軽にできる副業です。 http://www.e-fukugyou.net/qcvfw/