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2015年02月12日

【知道中国 1179回】 「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野6)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1179回】        十五・一・初一

 ――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野6)
 「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年) 

 丁髷と同じように、いや、それ以上に興味を持たれたのが日本刀だった。

 ある日、友人宅に赴くと「刀子(コガタナ)ヲ出シ大ニホコリ云フ」には、これは日本の刀というもの。鋭さは如何、と。そこで日比野は笑いながら、「我國刀釼ノ利ナル萬國ニヒイヅ、兄シルトコロナリ」。以下に双方の遣り取りが綴られているが、その場の雰囲気を想像しつつ、翻案してみたい。

――「貴公の手にする刀子ごときは、紙を切り木を削るほどのナマクラものにして、敢えて利鈍を論ずるまでもないものでござる。我が腰のもの、これこそが真の日本刀と申さば、ひとたび鞘を払えば虎が吠え、如何な猛獣であろうが、斬り棄てるも思うが儘。貴国古代第一等の名刀と誉れ高い干将莫耶に勝ること数十等」。すると友人は不機嫌な様子。しばらくして、「この刀子、いくらアルカ」。そこで日比野は笑いながら、「日本刀なれば百金、あるいは千金に値するものしにて、貴公のそれは価値なしと申すしかなかろうて・・・」。いよいよ不機嫌になり、ならば刀を見せてくれ、と。

 日比野は真顔になって、「我が国にては、妄りに鞘を払うことを禁じており申す。ひとたび鞘を払えば、必ずや鮮血を招き寄せ申す。貴公、さほどまでに血を見たいと申すか」。いよいよ不機嫌な友人は押し黙り、自分の手のなかの刀子を弄り回すばかりだった――

 その後を日比野は、「實ニ我刀釼ハ格別ニテ、市間ノ傳言ヲ聞クニ、日本人ハ温和ニテ親シムベシ、タゞ腰間ノ物ニ近ヨルベカラズト」続ける。

 ある時、フランス人が近づいて来て刀を抜く手真似をしてみせる。刀を見せてくれということだろう。余りいい気持ではないが、小事に拘ってもいられないし、言葉も通じない。そこで仕方なく、「鞘ヲ半バ脱シ一人ノ面前ニイタス。彼大イニオソレロヘ四五尺トビ退ク」。キラリと冷たく光る鋭利な日本刀に、さぞや胆を潰し魂消たことだろう。

 上海での交易の可能性を探ろうとした当初の目的は達成されなかったようだが、中国人の間に「日本人ハ温和ニテ親シムベシ、タゞ腰間ノ物ニ近ヨルベカラズト」のイメージを植え付けた千歳丸の派遣は、予想外の副産物を生んだようだ。

 副産物といえば、第2次アヘン戦争(1856年〜60年)における英仏連合軍の戦法を知ったことも、その1つといえるだろう。日比野は「余感慨ニタへズ。カノ天津ノ戰ヲ聞クニ」と、戦場での英仏軍の様子を綴る。

 天津で迎え撃つ清国軍は「ミナゴロシニセント」、砲台・地雷などで万全の態勢を整え英仏軍の上陸を待った。ところが、その地に住む中国人が先祖伝来の土地が戦場になることを恐れたのだろうか、清国軍側の軍機を英仏軍に漏らしてしまった。そこで英仏軍艦は「清軍ノ攻擊ヲ恐レ、高ク白旗ヲ掲ゲソノ中ニ『免戰(戦闘回避)』ノ二字ヲ書シ、カタハラニ『暫止干戈、兩國交和(暫時戦闘休止、双方講和のテーブルへ)』ノ八字ヲ書シ、又和約ヲ以テ清軍ヲ欺ク。清軍ソノ術中ニ陥リ更ニ攻擊セズ。〔中略〕夷艦遽ニ清軍ヲ轟擊ス。ソノ勢大イニ張ル」。かくて英仏両軍の前に「清軍大敗ニ至ル」ことになった。

 ある中国人が己の目先の利のために敵に通じ、防衛機密を漏らしてしまった。英仏軍が「免戰」とか「暫止干戈、兩國交和」とか書いた「白旗ヲ掲ゲ」、さらには話し合いを提案してきたら、攻撃を手控えるのは当然だろう。ところが、それこそが清国軍を欺く戦法だった。かくて「英法志ヲ得テマスマス進ミ、清軍大敗に至ル」。とどのつまり清国は、英仏両国に莫大な賠償金を払う羽目に陥ったというのだ。

 狙った獲物を得るためには卑怯極まりない戦法でも構わない。先進文明国を揚言する一方で貪欲な侵略意図を愈々露わにする英仏両国の次の狙いは・・・危ういぞ、日本!《QED》

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2015年02月11日

【知道中国 1178回】 「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野5)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1178回】        一四・十二・三一

 ――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野5)
 「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年) 

 小袴、天公(カサ)、腰に刀。「拳ヲ揮ツテ、意氣揚々市街ヲ歩」く。すると中国人が道を開けてくれる。だが行く先々で十重二十重に取り囲み、前後左右から覗き込むように眺め、「髪ヲ指點シ絶倒ス」。さほどまでに丁髷は珍奇に思えたのだろうが、一方で太平天国に苦しむ上海を救助にやってくる日本からの援軍の先遣隊という噂の真偽を自分の目で確かめたかったのかもしれない。

 ある日、干物屋、八百屋、米屋、綿屋、鶏や鴨を油で揚げて売る油物屋などが犇めき、「路甚ダ狹ク臭氣甚ダシ」く「酸鼻」を極める市街を「迂曲徘徊」した後、上海南西の郊外を歩く。「往々兵卒ニ逢フ」が「ソノ容貌健強ナラズ」。弱兵では戦は出来申さん、といったところだろう。やがて「田間ニ至ル」と、「亂ヲ避ケ假居スル者多シ」というから、乞食同然の悲惨な難民生活を目にしたはずだ。畑に見えるのは「胡瓜・茄・蜀黍・夏蘿葡・冬瓜・大豆・裙帯豆・紫蘇・藜・コウライノ類」で、「田畝ノウユルモノ我國ト異ナラズ」。

 ところが、そこここに「箱アリ。長サ六七尺、ソノ數タトヘ難シ。臭氣尤モ甚ダシ。行人ニ問フニ皆棺ノヨシ。惡病流行ニテ死人多シ。故ニカクノゴトシ」。日比野も罹ったコレラは、さぞや猖獗を極めたのだろう。墓石が立っているものもあるが、「中ヨリ棺ノ露スルアリ。コレ年ヘテ頽破セシナリ。〔中略〕封土短カク土肉至ツテ薄シ」と。

 千歳丸一行の上海滞在は夏。夥しい数の棺から腐敗臭が漏れていただろうから、「臭氣尤モ甚ダシ」となるはずだ。おぞましいばかりの風景に、日比野もまた閉口し困惑の色を露わにする。

 夥しい数の棺が放置された一帯を先に進むと「長毛賊ヲ防禦ノ爲ニ野陣スル」「李鴻章ノ陣營」がみえた。さらに進み、一休みした寺の軒先で「小童書ヲヨム」。覗き込んでみると儒教古典の「中庸論語ナリ」。一緒にいた爺さんに筆談で問い質すと、去年7月、この一帯が太平天国軍に襲撃されたことから、一家眷属を挙げて上海東方の浦東に逃れた。現在の上海国際空港の在る地である。太平天国軍撤収の後に戻ったものの、「家財米粟皆奪ヒ去ㇽ」。その後も戦火は止むことなく、世の中は荒みきったままだ、とのこと。太平天国軍の兵士もまた、戦争に勝てば略奪し放題という中国古来の伝統に倣っていたということだろう。

 ここまで聞いて日比野は、「蓋シ頽破キハマル、然カルモ子孫ニ書ヲヨマセ、且質樸ニテ田舎ノヲモムキ賞スベシ」と。上海の街に出て西洋人に媚び諂って狡猾に生きるよりも遥かに素晴らしいではないか。昼食を見せてもらったが質素そのもの。だが男女の別は厳然として守られている。かくて日比野は「實ニ感ニタへタリ」と、失意の中にも泰然として生きる姿に感嘆の声を洩らす。

 再び市街に戻り、「徘徊シテ聖廟ヲタヅヌ」。やっと探し当てた孔子廟だったが、そこは銃を構えたイギリス兵に守られていた。何とか頼んで中に入れてもらったが、孔子像は撤去され見当たらず、広い廟内はイギリス兵の兵営になっていた。本来そうあるべき学童の勉学の場では、「喇叭操兵ノ聲」が聞こえるだけ。かくて「嗟、世ノ變ズル何ゾ甚ダシキヤ。李鴻章數萬ノ兵ヲヒキヰテ野外ニ賊ヲ防グ。ソレ狐ヲ驅ツテ虎ヲヤシナフカ。何ゾ失策ノ甚ダシキヤ」ということになる。

 狡猾な狐(太平天国軍)を駆逐すべく李鴻章麾下の数万の兵が前線に赴き上海を出払っている間に、上海では獰猛な虎(イギリス兵)が孔子廟を占拠して侵略の牙を磨いでいた。これこそ失策の最たるものだ。

 康熙、雍正、乾隆、嘉慶、咸豊の清朝歴代皇帝の筆になる扁額は残されているもが、「コノ前ニテ英人無儀無法ノアリサマ、實ニ惡ムベク實ニ嘆スベシ」と、憤慨頻りである。《QED》

posted by 渡邊 at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国

【知道中国 1177回】 「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野4)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1177回】        一四・十二・念九

 ――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野4)
 「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年) 

 日比野も上海での「徘徊」を愉しむ。

 書店を覗く。「棚上ヲ看レバ佩文韻府アリ。塵埃寸餘、ソノ價ヲ問フニ二十五元。我國ノ十三兩ホド。コノ一ヲ以テ書籍多クソノ廉ナルヲ知ㇽベシ」と。『佩文韻府』とは清朝の康熙帝(1662年〜1722年)が行った出版事業の一環で、中国古典を網羅して編纂された語彙集。詩を作る際の参考書だが、出典が明記されているだけに、語彙の来歴を調べるうえでは最も頼りになる工具書だ。

 「塵埃寸餘」の4文字から、当時の上海の混乱ぶりが浮かんでくる。如何に貴重な書物であれ、知識人もまた詩作に耽るなど悠長に構えてはいられなかったことだろう。そんな物情騒然とした上海の書店の書棚で埃を被った『佩文韻府』に着目したとは、日比野の、いや当時の武士の教養のほどが判ろうというもの。治に居て乱を忘れずではなく、乱に居て知を忘れず。いや、乱であればこその知である。

 この一件からだけでは余りにも飛躍した考えのように思えるが、あるいは明治維新という回天の大業をなさしめた原動力は、日比野のみならず、峯、名倉、納富、加えるにこれから読むこととなる中牟田、高杉らの綴る文章の行間から時に迸り、時に染み出るように現れる《知》の力ではなかったか。彼らの《知》は昨今のグローバル人材養成などという目端の利いた官僚サマ、そのツカイッパシリの国会のセンセイ、小利口で弁舌のみの評論家ドノ、立ち回りの上手な学者サマなどが口にする小賢しい知(恥)ではない。己が脳髄を絞り切り、考え尽くす《知》である。おそらく《知》に向っての格闘なかりせば、幕末の日本は清末のようにブザマで悲惨極まりない環境に陥っていたに違いない。

 話は通じないが筆談ができるから「趣アリ」となる。その一例として、墨を求める際の遣り取りを挙げて、「『此墨價若干』ト書スレバ、『一元』ト答フ。『虛價』ト書スレバ、『眞正實價』、或ハ『實價不二』ト答フ。『墨色不好。且無香。想近製』ト書スレバ、『都是陳貨。香在内』ト答フ」と記す。例によって、その場の雰囲気を想像して翻案してみると、

――「この墨の値は如何ほどじゃ」「一元アルヨ」「偽りであろうぞ」「違うアルヨ、ホンとのことあるよ」「ウソのことないアルヨ」「墨の色は芳しからず、且つまた香りが致し申さん。してみると最近の作りじゃな」「ジェンジェン違うアルヨ。じぇんぶ古いのモノよ。香、外側ないよ。中ねーッ、中あるのコトよ」――

「徘徊」しながら筆談で得たであろう太平天国について多くの情報を、日比野は『盾鼻隨聞録』に纏めたと記す。同時代の日本人が綴った太平天国についての詳細な報告だったに違いない。

 ある日、「胸中煩悶シ飲食ヲ絶ツニ至ル」。体が冷え腹痛が起り、やがて「泄痢甚シ」。夜に入って「手足拘攣、舌端固縮シ、脈ノ有無辨ジカタシ」。コレラである。かくて友人を呼んで、「今萬里外ニアツテ溳埃モ國家ノ用ヲナサズ、空シク病牀ニ死スハ、豈遺憾ナラズヤ」と悲壮な決意を伝える。翌日も、ソノ翌日も病状は回復しない。そのうち一人倒れ、二人倒れ、どうやら「我國人半バ泄痢ニテ面色土ノゴトシ」となった。

 数日後、日比野は病も癒え、宿舎を訪ねて来た中国人と筆談を交わすのだが、相手が「蕃王貢使ト書」いた。天皇を「蕃王」と呼ばわりし、その朝貢使節と見下したわけだ。「時ニ林某傍ニアリ。余ト共ニ顔色ヲ變ジ、蕃王貢使トハ何ヲ以テ云フト詰問ス。彼大ニオソレアラタメ書セントス。余輩ソノ紙ヲ寸分ニ破割シ地ニ擲チ刀ヲ撫シテ叱咤」した。おそらく会津の林三郎だろうが、共に刀に手を掛けながら、「キサマ、何を申すか〜ツ」と大喝したことだろう。夜郎自大・尊大無比で無知蒙昧に対しては・・・コレコレ、これです。《QED》

posted by 渡邊 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国

2015年02月10日

【知道中国 1176回】 「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野3)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1176回】        一四・十二・念七

 ――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野3)
 「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年) 

 下っ端役人とはいえ、卓上の残り物を掠め取ろうなどという振る舞いは、浅ましい限りである。「想フニ賊燹煽動、故ニ風俗ノ壞敗カクノゴトキカ。或ハ珍菓ニ心魂ヲ奪ハレシカ」。まあ個人も、集団も、民族も、国家も、貧すれば鈍し、鈍すれば貧するもの。矜持を忘れ、恥を棄て去れば・・・なんでもデキるのことアルヨ。周永康、令計画さんのコトアルねえ。

 役所の外に出ると、日本人の道台訪問の知らせを聞いたのか、「縱觀ノ者數萬人」。人垣の中を宿舎に戻った後、「徘徊」に出る。磁器店内に入って振り返ると、黒山の人だかり。店外に出ようにも出られない。そこで「鞭ヲ擧グレバ乍チ散ジ又アツマル。實ニ笑フベク厭フベシ」。なんとか「徘徊」してみるが、やはり「唐人馳セ來リ相圍ム。故ニ烟塵滿抹シ暑威ツヨシ」。顔を寄せられ、饐えたような体臭に取り囲まれ、臭い息を吹きかけられたらタマラナイ。そこで日比野は「扇ヲ以テ面ヲ掩フニ至ル」。嗚呼、タマリマセン。実に御免蒙りたい。

 夜、千歳丸に戻ると、通訳から「日本國ハ格別ノ國ニテ禮義ノ正シキヲ感ゼシヨシ」との道台の言葉を伝え聞く。道台が西洋人を持て成すことはなかったというから、日比野は「我國人ヲ甚ダ戀フ趣ナリ」と記している。口から出まかせ。彼ら得意の荒唐無稽な誉め言葉と用心に越したことはないが、先ずは素直に受け取っておくなら、日本からの武士の礼儀正しさが、道台をして「日本國ハ格別ノ國」と感嘆の声を挙げさせたに違いない。やはり相手が誰であれ、ふんぞり返ることも、依怙地に出ることも、高飛車に振舞うことも、媚び諂う必要もない。たとえ相手がブッチョウ面をしようが、目を逸らそうが、相手の目を正視し、自らの国家の利害得失を念頭に、正々堂々と渡り合えばいいだけである。

 いま、「中華民族の偉大な復興」やら「中国の夢」などといった誇大妄想を弄ぶ時代、我が日本には「子々孫々までに日中友好」などを口にする“絶滅危惧種”ならぬ“絶滅念願種”はいないと確信する。だが万に一つ、絶滅を免れ依然として生息していたとするなら、「贅肬録」の一節を書いた紙を丸めて煎じた熱湯を、頭からぶっかけてやれば、些かなりとも正気を取り戻すことに繋がるはず・・・はないな。

 閑話休題。

 峯も名倉も納富も揃って記す上海の水質の悪さに、日比野もまた言及する。何しろ上海には井戸が少なく、茶色く濁った黄浦の水を「礬石石膏ニテ清シ吃飲スル」というのだ。「已ニ晩飯ニ至リ、茶ヲ煎ジ飯ニソゝケバソノ色青緑實ニ食シガタシ」と。とてもではないが、如何に幕末勤王の士であれ耐えられるものではないだろう。

 水と同じように耐え難かったのが、キリスト教だった。

 じつは同じ宿舎に投宿していた「佛蘭西ノ耶蘇教ヲ傳フル僧」を目にした瞬間、日比野は「感慨勃々天ヲ仰イデ歎」ずる。太平天国にしても、漢族の王朝である明を再興しようというのではない。「唯邪教ヲ以テ愚民ヲ惑溺シ、遂ニ大亂ヲ醸シ災十省ニ及」んでいるほど。「然ルニ何ゾコレヲ禁」じないばかりか、「耶蘇ノ禁廢シテ上海ニ耶蘇堂三箇所」も建設させた。「蓋シ外ニハ洋夷ノ猖獗、内ニハ賊匪ノ煽亂アリテ災害並ビ至ル」。そのうえ、英国の軍事力に屈し、香港の割譲と上海以南沿海要衝の5港の開港を承知してしまった。かくて「嗟殷鑒トウカラズ」となる。

 日本にとっての悪しき見本は、いま目の前にあるではないか。国の護りも、財政も、ましてや先祖伝来の志操までも西欧に骨抜きにされ、いま亡国の淵に立つ清国は「近ク一水ノ外ニアリ」。まさに清国こそ幕末日本の「鑒」だ。このままの日本では、いずれ清国に続いて西欧のなすがままに陥ってしまう。「オソルベキナリ」。まこと恐るべきなり。《QED》
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2015年02月09日

【知道中国 1175回】 「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野2)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1175回】        一四・十二・念五

 ――「我國萬世一統。所以冠萬國也」(日比野2)
 「贅肬録」「没鼻筆語」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年) 

 丁髷にせよ弁髪にせよ、相手には奇妙に見えたとしても、「實ニ風俗ノシカラシムルコト」であるからには「ソノ笑ヒイズレヲヨシト定メ難シ」と考える。これを今風に表現するなら文化の相対主義ということになるのだろうが、外見はともあれ内面、つまり人々の振る舞いから、日比野は「風俗ノ亂レタル一端ヲ知ルニ足ル」ことに気づく。

 中国式の木造小型船の「杉船」が沈没して船主が水中に落ちた時など5、6艘が救援に駆けつけるが、人命救助はそっちのけ。バラバラに壊れた船の板切れを我先に争って取り合う。日本人が誤ってタバコ袋を水中に落したら、「馳セ來リ奪ヒ去ル」。何とも浅ましい限りの振る舞いを見せる。「實ニニクムベキナリ」である。確かに洋の東西を問わず港街の気風は荒っぽく刹那的で、「至ツテ輕薄ナレドモ」、上海の場合は限度を超えているといったところだろうか。

 日本側は港湾内で利便を考え、小回りの利く小船を借用し、日の丸を掲げた。「午下上陸シ、顧看スレバ我國ノ日旗日ニ映ジ數千ノ蕃船ヲ輝射スルゴトシ」。振り返った日比野の目に映じた「我國ノ日旗」は西日を受けて翩翻として光り輝き、まるで数千の異国船を照射しているようだ。その時、いったい日比野は「我國ノ日旗」に如何なる感懐を抱いたのか。

 街を歩く。「土人」が十重二十重と取り囲み、日比野ら歩みに合わせ動き、一挙手一投足を注視する。店に入るわけにもいかず、ただ看板を眺めるしかない。不思議なことに「數千人相集リ相尾シテ余輩ヲ看ルニ婦女甚ダ少シ」。100人中に5,6人の割合で乞食女や5,6歳の少女がいるが、それでも女子は「男子ノ十分ノ一ナシ」である。まさか上海では女子が圧倒的に少ないわけはないだろう。その証拠に「樓上或ハ戸隙ヨリ反面ヲ出シ窺フ者アリ」なのだから。そこで日比野は考える。

 ――聖人は男女に別があることを教えている。女子は専ら家に在って家内を治めるべきものだ。ところが我が国では「惡風」があって、女子は「冠婚死葬ナドニ往來ス」。親戚だから仕方がないが、それ以外でも「妄リニ往來」している。やはり親戚の外は女子の往来は禁ずるべきだ。かくて「余清國亂ルトイへドモ、男女ノ別アルヲ甚ダ感ズ」となる。混乱しているとはいえ、清国が「男女ノ別」を守っている点に感心頻りである。

 新聞を読む。「賊」というから太平天国軍をさすのだろうが、その「賊」を避け、「老ヲタスケ幼ヲタヅサヘ」て多くの難民が上海に押し寄せる。逃避行道中の艱難は想像を絶するものがある。慌ててフランス軍が討伐に向かったが「賊」は消え失せていたので、引き返さざるをえなかった。そこで日比野は、何故に清国軍が討伐に出陣しないのかと「大イニ嘆息」し、「國内ノ賊ヲ外夷ニ探ラㇱムル、何ゾ失策ノ甚シキヤ」。なぜ自国内の「賊」の討伐を西洋人に委ねるのか。それだけではない。先頃は「奸商」が寧波辺りで「賊」に武器弾薬を売って大儲けしたというのだ。この情報を得た「西洋ノ兵」が探索に向い「奸商ノ船一艘」を確保し船内を捜索すると、大量の武器弾薬に加え2人の西洋人が発見された。そこで上海まで曳航し、英国領事館で尋問することになった。

 かくて「何故ニ清國ノ官吏イタリ訊究セザルヤ。嗚呼々々」と。自国内での外国人の逮捕・捜査権を行使できない。実質的に主権を奪われた清国を嘆く。今日の清国を、断じて明日の日本にすべからず。こう、日比野は決意しただろう。それから150余年後の沖縄は・・・。

 某日、幕府役人の従者として、オランダ人に先導され上海を司る道台の役所に向かった。例によって「市街甚ダ狹ク頗ル汚穢ナリ。左右縱觀ノ者堵ノゴトシ。指點シテ余輩ヲ笑フ」。道台では大歓待を受けたが、「酒後ニ至リ嘆息スルアリ」。片付け係の2,3人が残り物を「袂中ヘ(中略)竊入スル」のを見てしまった。またまた「嗚呼野ナル哉、卑ナル哉」。《QED》

posted by 渡邊 at 06:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 考えてみた
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