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2015年02月02日

【知道中国 1167回】 「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富2)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1167回】         一四・十二・初九

 ――「塵糞堆ク足ヲ踏ムニ處ナシ」(納富2)
 「上海雑記 草稿」(東方学術協会『文久二年上海日記』全国書房 昭和21年)

 「此度ノ上海行、最モ艱苦ニ堪ヘザリシハ濁水ナリ」。黄河水系の水を引き入れているから茶褐色に濁り、平坦な地平ゆえに水の流れは緩慢で、海から潮水が逆流する。だから流れが停滞するのは当たり前だが、「ソノ上ニ土人死セル犬馬豕羊ノ類、ソノ外總ベテ汚穢ナルモノヲ江に投ズル故、皆岸邊ニ漂浮セリ。且又死人ノ浮カベルコト多シ。コノ時コレラ病ノ流盛ンナリシニ、難民等ハ療養ヲ加フルコト能ハズ。或ハ飢渇ニ堪ヘズシテ死スル者甚ダ多シ。又コレヲ葬スルコトヲ得ズ。故ニコノ江ニ投ズルナルベシ。寔ニソノ景様目モ當テラレヌ計リナリ」

 ――淀んだ茶褐色な流れに、身の回りの家禽類の死骸のみならず、ありとあらゆる汚物が浮かんでいる。加えて死骸も。劣悪な環境、貧弱な医療施設である。猛威を振るうコレラを前にしては、もはやお手上げ。ただでさえ体力のない難民はバタバタと斃れる。だが、まともに埋葬はしてやれない。勢い死骸を川に流すことになる。水葬といえば聞こえはいいが、要するに川から海。そこで、ハイ再見(さようなら)――

 あるいは一瞬、納富はエライところに来てしまったと思わなかっただろうか。だが上海の汚さは、この程度ではなかった。

 「尚コレニ加フルニ、數萬ノ舶船屎尿ノ不潔アリ。井ハ上海街中纔カ五六所アリト云フ。然モソノ濁レルコト甚シ。故ニ皆コノ江水ヲ飲ム。多クノ大瓶ニ汲ミタクハヘ、石膏或ハ礬石ヲ投ジ置ケバ、數刻ニシテ清水トナレリ」

 納富は山紫水明の国土からやって来たのだ。こんな「清水」を飲めたものではない。かくて「素ヨリ飲狎レザル惡水ナレバ、皆病マザル者ハナシ」。不幸にも「碩太郎・傳次郎・紋蔵ノ三人ハ終ニ病死セリ」。納富も病気になった。だが、「幸ニ同國中牟田氏ノ親切ノ看病」によって、「辛ウジテ存スルコトヲ得タ」わけだ。そこで納富は、「苟モ遠ク絶域ノ地ニ赴クニハソノ地理風土ヲ聞キ知リ第一時候ヲ考へザレバ、カクノゴトキ大難ニ逢フ」と猛省した。だが猛省だけで終わらないのが納富だ。新提案を記す。

 ――だから、中国にやってこようとするなら、上海だけに限らず、長江を遡行して他の都市に停泊するか、天津や香港などに入港すれば「水患」に煩わされることもないはずだ。天津、香港に加え廣州、瓊州、潮州、厦門、福州、鎮江、寧浪、漢口、台湾、牛荘も通商港として開放されている。だから、これらの港に向えば、多方面からの情報も入手でき、見聞を広めることもできるだろう――

 納富は「苦難ノ餘リニ嘆息セリ」と呟く。考えてみれば、かつては「狭い日本にゃ住み飽きた、支那にゃ四億の民が待つ」などと放歌高吟し大陸雄飛を謳いあげたこともあったが、「苟モ遠ク絶域ノ地ニ赴クニハソノ地理風土ヲ聞キ知リ第一時候ヲ考へザレバ、カクノゴトキ大難ニ逢フ」との納富の体験談を目にすると、あまりにも無手勝流が過ぎたようにも思える。当たって砕けろではなく、堅実着実・用意周到こそが肝要ということだ。暴虎馮河、死して悔いなきは、これを匹夫の勇という、である。江戸末期の名倉の方が、後の世の大陸雄飛青年に較べ数段も合理的ではなかったか。

 街を歩くと多くの関帝廟に出くわす。「清國ノ俗、關羽ヲ尊敬スルトコロ宣聖ヨリモ優レリ」とするが、納富もまた名倉と同じように関羽が商売の神様であることを知らなかったようだ。だが「近年天主耶蘇ノ二教盛ンニ行ハレテ、愚民コレヲ尊ブコト孔聖關羽ヨリ更ニ超エタリ」と。おそらく「愚民」にとっては、「孔聖關羽ヨリ」「天主耶蘇ノ二教」の方に現世利益があったのだろう。「耶蘇教内ノ唐人」の中には西洋留学に送り出される者もいたと、名倉は記す。「孔聖關羽」を拝んでいては、西洋留学は絶対に無理だ。確かに。《QED》

posted by 渡邊 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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