
【知道中国 1234回】 一五・四・念四
――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室11)
『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
小室の筆は、次に「支那人ノ氣風」に及んでいる。
「支那人ハ一二憂國ノ人」もあり、「忠君ノ民モアルベシ」。だが、「概シテ之ヲ言ヘバ貪欲愛錢ノ小人ノミ廉耻モ知ラズ忠義モナキ只私利ヲ營ムコトニノミ營々汲々トシテ俛焉他ヲ顧ミザルモノナリ」。彼らは「貪欲愛錢ノ小人」であり、「廉耻モ知ラズ忠義モ」なく、「只私利ヲ營ムコトニノミ營々汲々トシテ」いるだけだ――そこまでいうか、である。
以下、全く以て身も蓋もないような、完膚なきまでの、小気味いい、気の毒になってしまいそうな、心から拍手喝采を送りたくなるような、総じていうなら痛快無比の徹底批判が続く。例によって原文引用を必要最少限に止め、小室の見解を要約しておきたい。
――孔孟は「仁義道徳」を説き「禮義廉耻」を教えたが、それは「古書」に書かれているだけで、現在では実行されていない。過去を振り返ってみると、孔孟の教えは「高尚」すぎて、「中人以下」の人民にはチンプンカンプンで生きていく上では全く役に立たない。
「今日ノ支那人ヲ見」ても判ることだが、彼らは「孔孟ノ門弟」などではない。「支那國ヲ以テ孔孟ノヘアルノ國」などとは到底信じられない。我が国の「漢學者ニハ氣ノ毒ナレドモ實ニ輕蔑スベキ國柄ト云フヨリ外ナシ」。
「總ジテ日本人ヨリ考」えると、国を近くし、「同文字ヲ用」い、「歷史ノ感情ヲ同フスル」にもかかわらず、「支那人ノ心ノ庭」「支那人ノ擧動」に対しては「疑念ノ晴レガタキホドノ差異」がある。「要スルニ日本人ニハ出來ガタキヿヲ爲シ得ルノ氣象風俗アルノ人民」であり、日本人は絶対に学ぶべきではない。万に一つ学べるとしても、「予ハ之ヲ學ブヿヲ欲」しない。
過般、北京で文廟(孔子廟)に参詣した。「文廟ハ上天子ヨリ下庶人ニ至ル迄崇敬スベキ所」であり、昔から「當國ノ腦部トモ稱スベキ程」であり、日本でいうなら「伊勢春日八幡ホドノ格式」に及ばずとも「北野天滿宮クラヰノ尊厳ハアルベシ」。だが参詣してみて驚いた。門を守る「乞食ノ如キ醜陋ナル男」の要求通りの金銭を払わないと、門を開けてもらえない。要求されるがままに金銭を渡して、やっと廟内に足を踏み入れることができた。確かに規模壮大だが、実際に目にすると、「門内ニ草茫々トシテ人ノ脛ヲ没シ人糞犬矢四邊ニ狼藉タリ」。屋根は雨漏りしたままで、修理の跡は全く見られない。
廟の建物の内部に入ってみると、孔子や孟子、その弟子など聖人たちの名前が麗々しく記された位牌は埃まみれで、倒れたり傾いていたり。「當國ノ腦部トモ稱スベキ程」の文廟を「唯一個ノ乞食様ノ門番ニ一任シテ省ミザル」などとは、全く理解できないことだ。孔孟の教えを学ぶべく文廟に隣接された最高学府たる国子監にしても、五十歩百歩の惨状である。日本では祢宜や神主が神社をお守りしているから、こんなことは絶対にありえない。
日本人にとっては想像を絶する情況だが、「支那人ノミ之ヲ怪マザルノミナラズ」、北京に長く滞在する日本人も「慣レテ不思議ト思ハ」はなくなっている。現地生活が長いと、ついつい日本人的感情も鈍麻してしまうのか。文廟だけが特例かと思ったら、寺院ですら僧侶や門番が「錢ヲ貪リテ醜態百出看ルニ忍ビズ」。「實ニ嘆息ノ外ナキモノナリ」。
「總ジテ支那人ハ金錢上ノ事ニ係リテハ議論最モ激ニ口角沫ヲ生ジ動モスレバ鐵拳ヲ揮ハントスル状有リテ」、「殆ド畢生ノ力ヲ竭クスモノヽ如ク見ユルモノアリ」。やはり「支那人ハ錢サヘ得レバ如何ナル屈辱ニテモ忍ブヿヲ得ルモノニテ面ニ唾セラレ頭ヲ打タルヽヿハ錢ノ爲メナレバ頓着セザルモノナリ」。かくして「支那人ノ利ヲ見テハ耻ヲ知ラズ義ヲ忘ルヽハ古來ヨリ著シキ類例ノ歷史ニアラハレ居ルヿ」である、と――
次いで小室は「賣國ノ人多シ」と論を転ずるが、いやはや過激過ぎませんかね〜ッ。《QED》