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2015年04月28日

【知道中国 1234回】 「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室11)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1234回】         一五・四・念四

 ――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室11)
 『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
 
 小室の筆は、次に「支那人ノ氣風」に及んでいる。

 「支那人ハ一二憂國ノ人」もあり、「忠君ノ民モアルベシ」。だが、「概シテ之ヲ言ヘバ貪欲愛錢ノ小人ノミ廉耻モ知ラズ忠義モナキ只私利ヲ營ムコトニノミ營々汲々トシテ俛焉他ヲ顧ミザルモノナリ」。彼らは「貪欲愛錢ノ小人」であり、「廉耻モ知ラズ忠義モ」なく、「只私利ヲ營ムコトニノミ營々汲々トシテ」いるだけだ――そこまでいうか、である。

 以下、全く以て身も蓋もないような、完膚なきまでの、小気味いい、気の毒になってしまいそうな、心から拍手喝采を送りたくなるような、総じていうなら痛快無比の徹底批判が続く。例によって原文引用を必要最少限に止め、小室の見解を要約しておきたい。

 ――孔孟は「仁義道徳」を説き「禮義廉耻」を教えたが、それは「古書」に書かれているだけで、現在では実行されていない。過去を振り返ってみると、孔孟の教えは「高尚」すぎて、「中人以下」の人民にはチンプンカンプンで生きていく上では全く役に立たない。

 「今日ノ支那人ヲ見」ても判ることだが、彼らは「孔孟ノ門弟」などではない。「支那國ヲ以テ孔孟ノヘアルノ國」などとは到底信じられない。我が国の「漢學者ニハ氣ノ毒ナレドモ實ニ輕蔑スベキ國柄ト云フヨリ外ナシ」。

 「總ジテ日本人ヨリ考」えると、国を近くし、「同文字ヲ用」い、「歷史ノ感情ヲ同フスル」にもかかわらず、「支那人ノ心ノ庭」「支那人ノ擧動」に対しては「疑念ノ晴レガタキホドノ差異」がある。「要スルニ日本人ニハ出來ガタキヿヲ爲シ得ルノ氣象風俗アルノ人民」であり、日本人は絶対に学ぶべきではない。万に一つ学べるとしても、「予ハ之ヲ學ブヿヲ欲」しない。

 過般、北京で文廟(孔子廟)に参詣した。「文廟ハ上天子ヨリ下庶人ニ至ル迄崇敬スベキ所」であり、昔から「當國ノ腦部トモ稱スベキ程」であり、日本でいうなら「伊勢春日八幡ホドノ格式」に及ばずとも「北野天滿宮クラヰノ尊厳ハアルベシ」。だが参詣してみて驚いた。門を守る「乞食ノ如キ醜陋ナル男」の要求通りの金銭を払わないと、門を開けてもらえない。要求されるがままに金銭を渡して、やっと廟内に足を踏み入れることができた。確かに規模壮大だが、実際に目にすると、「門内ニ草茫々トシテ人ノ脛ヲ没シ人糞犬矢四邊ニ狼藉タリ」。屋根は雨漏りしたままで、修理の跡は全く見られない。 

 廟の建物の内部に入ってみると、孔子や孟子、その弟子など聖人たちの名前が麗々しく記された位牌は埃まみれで、倒れたり傾いていたり。「當國ノ腦部トモ稱スベキ程」の文廟を「唯一個ノ乞食様ノ門番ニ一任シテ省ミザル」などとは、全く理解できないことだ。孔孟の教えを学ぶべく文廟に隣接された最高学府たる国子監にしても、五十歩百歩の惨状である。日本では祢宜や神主が神社をお守りしているから、こんなことは絶対にありえない。

 日本人にとっては想像を絶する情況だが、「支那人ノミ之ヲ怪マザルノミナラズ」、北京に長く滞在する日本人も「慣レテ不思議ト思ハ」はなくなっている。現地生活が長いと、ついつい日本人的感情も鈍麻してしまうのか。文廟だけが特例かと思ったら、寺院ですら僧侶や門番が「錢ヲ貪リテ醜態百出看ルニ忍ビズ」。「實ニ嘆息ノ外ナキモノナリ」。

 「總ジテ支那人ハ金錢上ノ事ニ係リテハ議論最モ激ニ口角沫ヲ生ジ動モスレバ鐵拳ヲ揮ハントスル状有リテ」、「殆ド畢生ノ力ヲ竭クスモノヽ如ク見ユルモノアリ」。やはり「支那人ハ錢サヘ得レバ如何ナル屈辱ニテモ忍ブヿヲ得ルモノニテ面ニ唾セラレ頭ヲ打タルヽヿハ錢ノ爲メナレバ頓着セザルモノナリ」。かくして「支那人ノ利ヲ見テハ耻ヲ知ラズ義ヲ忘ルヽハ古來ヨリ著シキ類例ノ歷史ニアラハレ居ルヿ」である、と――

 次いで小室は「賣國ノ人多シ」と論を転ずるが、いやはや過激過ぎませんかね〜ッ。《QED》

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2015年04月23日

【知道中国 1233回】 「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室10)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1233回】         一五・四・念二

 ――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室10)
 『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
 
 「支那ノ國情ニ通ゼザルノ日本人」が撒き散らす弊害は、遠く小室の時代には止まらず、現在にまで延々と続いている。ここで始末に困るのが、「支那ノ國情ニ通ゼザル」にもかかわらず、その自覚すらなく我こそ「支那ノ國情ニ通」じていると自任する方々だろう。さしずめ、かつて肩で風切って歩いていた支那通などは、その悪しき一例といえる。もちろん、「支那ノ國情ニ通ゼザル」ことの弊害を後世にもたらした夥しい数の官民双方の専門家や支那学者、国策策定に与った高級官僚、兵站もままならず敵の背後を等閑視したままに確たる勝算もなく広い大陸での戦争に突き進んでいった帝国陸軍作戦中枢(必ずしも「勝算」がなかったわけではないだろうが、それは妄想に起因する願望に過ぎなかった)、さらには有象無象のメディアなど(その悪しき典型が戦前も戦後も「朝日新聞」だ)――

 自ら思い込んでしまった“バーチャル中国”に、日本と日本人は何度煮え湯を飲まされたことか。いつになったら中国に対する幻想や陶酔から目覚め、等身大の中国とドライに真正面から、日本の立場で向き合うことができるようになるのか。

 「支那ノ國勢ノ日ニ蹙レルヿ今更ニ言フ迄モナシ」とする小室は、そのダメさ加減を、内外政に分けて語る。

 「内ニシテハ政令日ニ弊ヘ百官月ニ怠リ言路壅塞賄賂公行シテ人心離畔シ百姓怨ヲ積ム一朝事アラバ匪徒所在ニ蜂起シテ政令施ス所ナキニ至ラントスルノ勢有リ」

 ――国内をみれば、政治は荒廃するばかりで行われていない。官僚は政務を怠り、官民上下に意思疎通は見られない。賄賂は横行し、人民の怨嗟はいよいよ募る。不穏な情況が発生するや、直ちに匪賊が各地に蜂起し、政治は機能マヒに陥りかねない――

 以上の国内情況に続き、清国を取り巻く国際環境に言及する。原文は長文でもあり、紙幅の関係で聊か整理し、適宜原文を引用して小室の主張を見ておくこととしたい。

 ――いまやフランスという敵を前に清国の敗北は必至であり、その「禍ノ及ブ所測リ知ル可カラズ」。次に控えているのがロシアだ。清仏戦争敗北によって「北京城陥リ邊防人ナキノ日ニ至ラバ其ノ利爪ハ知ラズ」。いずれ「幾百里」をものともせずに侵略してくるだろう。イギリスもドイツも「其ノ表面親睦ノ色ヲ現スモ」、真意は判ったものではない。しかもドイツとフランスは永遠の仇敵だが、目下のところは「隠善」として同一歩調を取っている。イギリスはフランスが宣戦布告前に発した台湾封鎖令を「承認シテ之ヲ拒ムヿナシ」。以上から、イギリスとドイツの真意は明かだろう。「支那國ノ形勢ハ目下恰モ俎上ノ肉ニシテ飢虎其ノ四邊ニ咆哮スルモノヽ如シ」。

 これを要するに「佛人先ズ進ンデ調理割烹ノ任ニ當レルモノ」。次いで「飢虎」であるイギリス、ドイツ、ロシアが清国という「俎上ノ肉」をむしゃぶり尽くすことになる。フランス人が先ず木に攀じ登り、枝にたわわに実った果実を「打墜ス各國筐ヲ提ヘテ之ヲ拾ハントスルモノナリ」。

 では、隣国がこのように亡国の瀬戸際に立たされている時、「日本人ハ何如ガ處シテ可ナルカ」と自問し、小室は「蓋シ未ダ明言シ能ハザルモノアル可シ英雄豪傑ノ士ニシテ始メテ能ク其ノ方ヲ知ルベキノミ」と結ぶ。結論的にいうなら、小室にも明確な方策は思い浮かばなかった――

 小室の説く清国をめぐる内外情勢が現在の習近平政権下の中国にそのまま当て嵌るわけはないが、3月半ばのイギリスによるアジア投資銀行(AIIB)参加表明以後のフランスやドイツの素早い動きを見せつけられると、「飢虎」の伝統は21世紀初頭の現在にも受け継がれているようにも思える。日本の急務は、やはり「英雄豪傑ノ士」の鍛造だろうか。《QED》

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2015年04月22日

【知道中国 1232回】 「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室9)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1232回】         一五・四・二十

 ――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室9)
 『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
 
 日中戦争時の蔣介石麾下の国民政府軍の実態を調べていると、小室が指摘する清国軍の悪しき“軍規”を引き継いだ司令官や兵卒が数多く登場してくる。やはり「好鉄不当釘、好人不当兵」という漢民族古来の伝統は生きていたようだ。翻って世界第2位の経済大国を支える現在の人民解放軍では、この種の陋習は根絶されたと思いたいわけですが・・・。

 清国軍隊に関する興味深い指摘は、まだまだ続く。

 とどのつまり「支那ノ兵隊タランモノハ爭擾ノ際ニハ敵ニアレ味方ニアレ物質ヲ分捕リシテ隨意ニ逃亡スルヲ以テ利uト爲スノ外ナキナリ」。つまり兵の本分は掠奪にあるわけだ。

 たとえば福建省の馬尾での戦闘に際し清国政府は「三十万兩」の戦費を調達したが、戦闘終了後に兵営に戻ってみれば「一兩モアラザリシ」。フランス兵が強奪したわけではなく、清国兵が「分取リテ」逃走しただけ。「陣亡セシ清兵ハ五千人以上ナリ」と伝えられたが、「其ノ死セシト思ヒシ兵卒ハ各散ジテ本國故郷ニ歸リタルモノ多」いのが実情とか。そこで「外國新聞之ヲ評して幽霊ノ歸國ト迄嘲」るのであった。この一例をみても、清国軍隊のブザマな姿が想像可能だろう。

 しかも戦場で負傷したところで彼ら傷痍軍人を手当てする病院も、医師も、薬も、宿も、家も、食もカネもない。「徒ラニ道路ニ哀號悲泣」する悲惨な様は「諸外國人ノ親シク目撃セシ所」である。

 かくして「腐敗シタル兵隊ノ下ニ組立テラレタル兵營」の惨憺たる姿は、容易に想像できるだろう。舶来の新式洋式銃は少なく、「其ノ十分ノ七八分ハ皆ナ舊式ノ火縄筒又ハ大刀、楯、刀、ノ如キモノ」が武器で、「夜間ハ毎人提灯ヲ持チ」、「雨中ニ兵卒各個ニ雨傘ヲサシテ進行スルガ如キ其他其ノ擧動ニ至リテハ抱腹絶倒ニ堪エザルモノ有ルナリ」。

 清国軍の時代遅れの「抱腹絶倒ニ堪エザル」姿を、30年前の嘉永年間にやってきたペリー艦隊に対しする江戸幕府の海防の姿に譬える。江戸幕府が続けた「篝火ヲ焼キ高張提灯ヲ立テ弓張提灯馬上提灯等ヲ.點」する夜間海防態勢を目にしたペリー艦隊は、日本「ノ兵ハ未ダ戰ヒヲ知ラズ與シ易キノ敵ナリト笑」ったとのことだ。

 小室は、「今彼ノ支那兵ガ〔中略〕夜間ニ提灯ヲ點シ或ハ夥シキ旗幟ヲ建テ列子(ね)ルガルガ如キハぺルリ氏ヲシテ評セシメバ之ヲ何トカ曰ン實ニ支那兵ハ實用ニ適セザルヲ見ルニ足ルベシ」と評す。時代遅れというのか、時代錯誤というのか。ともかくも「ぺルリ氏」でなくても、驚嘆しつつ抱腹絶倒せざるをえないほどに「實用ニ適セザル」のである。

 小室は上海のみならず天津でも兵士を目にし、練兵場を覗いてみたが、服装・装備・練度からして「支那十八省中ニテ兵ト稱スベキモノ」は李鴻章軍だけと断言する。

 その李鴻章軍こそ、「一昨年朝鮮ニ出張ナシ居タリシ」清国軍だった。「一昨年」、つまり明治15(1882)年7月に李氏朝鮮で発生した壬午政変(壬午軍乱)に際し、李鴻章は隷下の軍隊を送り込み、政変に勝利し政権を掌握した閔妃(1851年〜95年)に加担し朝鮮への影響力強化に努め、日本の前面い立ち塞がった。これが引き金となって、14年後には日清戦争へと繋がることになるが。

 どうやら日本人が最初に目にした生身の清国兵が、「支那十八省中ニテ兵ト稱スベキモノ」である李鴻章軍だった。そこで「支那ノ國情ニ通ゼザルノ日本人」は清国軍全体が「改良セシ」と勝手に思い込み、李鴻章軍並の装備と練度を持っているとオメデタクも勝手に誤解してしまったことになる。だが現地で自ら詳らかに見聞すれば判ることだが、やはりどうしようもなくダメな軍隊だった。たとえば練兵場では旧式火縄筒を闇雲にぶっ放すだけ。これを笑うと、「銃砲ハ音サヘスレバ善シト曰ヒタリ」。嗚呼、処置ナシです。《QED》

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2015年04月20日

【知道中国 1231回】 「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室8)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1231回】         一五・四・仲八
 ――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室8)
 『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
 
 「佛人ト戰ハゞ結局ハ必ズ敗ルベキヲ知ルモノ」だから、李鴻章こそは「清國人中第一流ノ人物ニシテ佛人ニ取ツテハ一大敵國ト謂フベキ所以ナリ」ということになる。

 次いで小室の筆は清国海軍に転じた。

 これまで内外から寄せられる艦船数や大小火器は極めて充実しているとの報告から、小室は清国海軍に「畏怖ノ感覺」を感じていた。だが、自分の目で確かめ、現地に「停泊中ナル我海軍艦ノ海軍武官ヨリ其ノ説ヲ聞」いた結果、かねてから抱いていた「畏怖警戒ノ心」はたちどころに消え去ったという。

 やはり装備の面では充実しているが、その充実した艦船を「運用スル士官其人ニ至テハ一モ用ニ適スル人ナシ」というのだ。平時には英・独両国のお雇い士官が指揮して運用しているが、戦時になったら彼らは全員が「職ヲ辭乄罷メサル」ことになる。さすれば、さしもの大艦巨砲も単なる鉄の塊に過ぎない。「清國ノ海軍タル者ハ骨節堅剛ニ血肉肥満シテ而乄腦髓神經ナキノ人ノ如シ到底死物ノミ豈恐ルヽニ足ルモノナランヤ或我海軍士官予ニ語テ曰ク支那ノ軍艦ホド不規則ナルモノハナシ英式カト思ヘバ佛式モアリ佛式カト思ヘバ獨逸式モ有リ又清國一定ノ式アルカト思ヘバソレモ無シ」。かくて「清艦ノ擧動ニ就キテハ憫笑スベキヿ一々數フルニ遑マアラズ概シテ之ヲ言ヘバ類於兒戯者ナリ」と。

 簡単いうなら清国海軍の大鑑巨砲の実態は、大患虚報とでもいうべきか。装備は英・仏・独の各国製が混用されているから連係して使えない。彼らに近代海軍を運用する能力を求めることはムリだ。「類於兒戯者」、つまり幼児の戯事に過ぎない。これが結論だった。

 そこで「清國ニテ人物ト云フベキハ李鴻章一人ノミ」とまで評される李鴻章は、麾下の海軍を「旅順口ノ港内ニ封ジテ妄リニ航海ヲセシメズ」。それというのもフランスに戦敗し賠償金を払ったとしても、「尚軍艦十余艘ヲ餘シ得バ國ノ利ナリ」だからだ。いいかえるなら他日を期して手持ちの艦船を温存しようというのだ。

 最近では「支那人一般」も自国海軍がハリコの虎であることを気づきだした模様で、「兵ヲ談ズル必ズ」やフランス軍は海戦に強く陸戦に弱い、清国軍はその反対だから、「佛人陸ニ上ラバ擊テ之ヲ鏖ニスベシ」と主張するようになった。だがその種の主張は「我邦維新前ノ攘夷家ノ説ク所ト符節ヲ合シタルモノヽ如シ」。つまり自己チューで夜郎自大。ナンセンスの極みというわけだ。かくて小室は「一笑スベシ」と斬って捨てた。

 陸軍については詳しくはないと断りながらも、小室は「在清中ニ於テ見聞セシ所」によれば「一モ畏ルベキモノナシ」と綴る。その兵制は「近来ニ至リテハ其ノ無法無制不熟練ナルヿ驚クバカリ」と。たとえば司令官は隷下部隊の兵員を大幅に増員して申告し、水増し分の兵士の「給金ヲ私シテ自己ノ懐ヲ温ムル」という始末だ。「早ク謂ヘバ将官ハ兵卒ヲ食ツテ自己ノ腹ヲ肥シ居ルヿナリ」。

 1万の部隊と称するが、実質は5千人。しかも弱卒揃い。だが1万人分の給金を支給されるから、5千人分(=1万人−5千人)の給与が司令官の手許に残るというカラクリだ。坊主丸儲けならぬ指揮官丸儲けということになるが、清国では「此ノ悪弊普ク行ハレテ人モ怪マズ世間普通ノ事トナシ居ル」というのだから驚きである。

 だが、閲兵式ならまだしも、いざ有事となった時、指揮官の「狼狽ハ甚シク俄ニ兵ヲ」駆り集め頭数合わせに奔走する。だが、「平日給養スル所ノ兵ナル者不練不熟ノ者」であり、そのうえ装備は旧式極まりない。だから「戰ニ臨ミテ用ヲ爲サザルハ怪シムニ足ラズ」。加えて兵制はデタラメで兵籍の曖昧だ。そこで「戰ニ臨ミ陣亡スルモ恩給沙汰モ無ク招魂塲ニ葬ラルヽヿサヘモアラズ」。死して屍拾う者・・・あるわけがない。死に損だ〜ッ。《QED》

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2015年04月19日

【知道中国 1230回】 「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室7)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1230回】         一五・四・仲六

 ――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室7)
 『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
 
 「地方ノ事」は「我ノ干リ知ル所ニアラズ」というのが「中央政府ノ官吏一般」の共通した考え。それゆえにフランスが莫大な戦費と貴重な人的犠牲を払って台湾(淡水)や福建(福州)やベトナム(トンキン)を軍事制圧しても、中央政府に対する「恐嚇」の効果は全く期待できない。だから一層のこと、「佛人ハ大擧シテ北京ヲ衝キ其ノ軍旗ヲ皇宮ノ上ニ飄ヘサゞル限リハ自己ノ目的ヲ達スル能ハザルベシ」と説く。

 つまり清国(中国)は国家のような体裁をみせているが、国家と見做して相手をしたら大いに誤る。纏まりがあるような、ないような。国家としての一体感を持ち合せていない。加えて気の遠くなるように膨大な人口を持ち、土地は茫漠として果てしなく広い。だから地方でなにが起ろうと、中央から遠く離れた辺縁の地方がどうなろうと、その痛みが中央には伝わらないし、中央は最初から地方のことなど歯牙にも掛けてはいない。官僚機構は地方の要望を汲み取るように組織されているわけではなく、ましてや行政装置は地方で起こった問題に即応できるような仕組みになってはいない。問題が起ったら、地方は地方で片づけるしかない。だからこそ、中央は「我ノ干リ知ル所ニアラズ」ということになる。

 だいたい膨大な人口と広大な土地を中央で一括統御・管理するなどということなどは至難、いや不可能だ。だからフランスが清国を屈服させるという「自己ノ目的ヲ達スル」ためには、地方制圧から中央へではなく、やはり「大擧シテ北京ヲ衝キ其ノ軍旗ヲ皇宮ノ上ニ飄ヘ」すべし。つまり清国の中央である北京の、さらに中央である「皇宮」を一気呵成に軍事制圧する。まさに北京の「皇宮」に、ガツーンと一撃を喰らわせるのみ。

 この小室の指摘を現在に敷衍して考えてみるなら、地方で不動産バブルが弾けようが、地方政府が絡んだシャドー・バンキングが経営破綻しようが、環境破壊反対暴動が起ろうが、中央の習近平政権は「我ノ干リ知ル所ニアラズ」として処理してしまう可能性がある。ならば中華人民共和国を共産党一党独裁中央政府の下に秩序正しく統御された国家と見做して対応することは、余り非現実的であり、効果策でもないということになろうか。

 以上の問題は複雑で歴史的にも深く検討すべきものであり、いずれ他日の考察に譲ることにして、『第一遊清記』に戻ることにするが、小室は当時の清国を代表する人物である李鴻章(1823年〜1901年)に筆を進める。

 「清國ニテ人物ト云フベキハ李鴻章一人ノミ」であり、「或人曰ク清人四億万人一モ恐ルヽニ足ラズ。只畏ルベキハ一人李氏ナリ」と。李鴻章といえば軍事・科学・産業・教育に亘り西洋近代を取り入れ富国強兵を目指した洋務運動を推進し、“黄昏の清朝”を必死になって支えた人物であり、日清戦争敗北後の講和に当たっては全権代表(欽差大臣)として来日し、下関条約を結んでいる。下関条約が清国(中国)にとって屈辱的内容であったと看做す“超民族主義勢力”からは、漢奸(売国奴)と罵られた。最近では李鴻章を近代化に尽力した開明的指導者と見做す声も聞かれるようになったが、共産党の公式的史観では依然としてマイナス評価ままだ。

 では、「何ガ故ニ畏ルベキ」か。その理由は「外國ト戰へバ必ズ敗ルルヿヲ知レバナリ」。それというのも、「支那滿廷ノ百官擧ゲテ彼是ノ強弱ヲ知ラズ内外ノ國勢ニ通ズルモノナシ」。「支那滿廷ノ百官」、つまり中央政府首脳の中で李鴻章のみが「内外彼我強弱ノ差ヲ知ル」がゆえに、「敵ニ臨デ能ク懼レ謀ヲ好ンデ能ク爲ス故ニ大敗アルヿナシ」。

 どうやら彼我の勢力差を見定めることができる李鴻章を除いたら、残るは超自己チューのボケナスであり、自国のことも判らないし、ましてや他国に目を向けようはずもない。ならば一気に時空を飛び越えて・・・現代の北京に李鴻章は・・・いるだろうか。《QED》

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