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2015年04月02日

【知道中国 1223回】 「最モ困却セシ者ハ便所ニテアリシ」(曾根2−4)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1223回】         一五・四・初二

 ――「最モ困却セシ者ハ便所ニテアリシ」(曾根2−4)
 曾根俊虎『清國漫遊誌』(績文舎 明治十六年)
 
 その大僧は「浙江第一ノ古刹ニ乄、各省雲遊ノ僧侶來リテ掛塔スル者常ニ六百餘人ヲ下ラス、前朝以來香烟ノ絶ユル時ナク、諷誦ノ休ムナシ」と過去の栄華の様から語り出す。

 以下、曾根が綴る大僧の長い述懐・慨嘆を簡略に記しておきたい。

 ――19世紀も初頭になると、長い平和に慣れ過ぎ軍備・国防は全く疎かになってしまい、だれもが戦争というものを忘れていしまった。当時の広東総督の林則徐だけが緩み切った国情に危機感を抱き、士気を鼓舞しようと「外夷ノ輸入セル鴉片」を焼き捨てたことから、英国人が広東一帯の海岸を侵すことになった。だが、北京の清国政府中枢は「心ヲ寒ウシ膽ヲ喪」って、突如として英国に和議を申し入れる始末だ。その結果、「國家列祖以來ノ綱紀大ニ紊レ」たうえに、賄賂は横行し、社会は分裂し、俗吏は私利私欲を恣にし、「酷吏」は過酷な刑罰を課し、税金は重くなるばかり。

 かくして人民は悲惨極まる生活を強いられる。加えるに凶作であり、家郷を捨て乞食になる。幼児の死体は道路に満ち、老人の死体は道端の溝に転がっている。壮者は「盗匪」となって徒党を組み、生きていくために略奪の限りを尽くす。全土が、こういった惨状だ。

 そこで「草莽悲憤ノ士」が次々に立ち上がり「救民ノ師」を挙げ、仲間を糾合し兵を募り、「朝命ニ抗スル」ようになった。なかでも洪秀全は道光30(1850)年に太平天国の旗を掲げ「民ヲ水火ノ中ヨリ救ワント」し、「謀士猛将林ノ如ク、百萬ノ衆ヲ擁シ、中國東南半壁ヲ擾亂スルヿ十有餘年、十數省ヲ蹂躙シ、六百餘城ヲ陥没シ」た。

 勢いを増した太平天国軍は当初の「民ヲ水火ノ中ヨリ救ワント」する志を忘れ、略奪の限りを尽くす。たとえば杭州の攻防においては、雲霞の如く攻め寄せる太平天国軍を前に、守備する清国軍は防戦一方。「守兵空中ニ飛ヒ、血肉天ヨリ下ル、賊(太平天国軍)勢ヲ得テ衝入亂擊」し、防備側の軍営に火を放った。清国軍は総崩れ。「官兵或ハ走リ或ハ降リ、一人モ支フル者ナシ」。

 それでも杭州は7ヶ月ほど持ち堪えたが、「軍亦紀律ナシ、故ニ兵丁、皆武器ヲ帶テ白晝財ヲ掠メ、婦女ヲ姦淫シ並ニ忌憚無シ如シ其意ニ逆フ者アレハ、直ニ之ヲ殺シテ顧ミス其暴状淫行、遠ク賊兵ニ過キタリ、然レトモ官之レヲ禁スル能ハス、禁スレハ則皆ナ将ニ賊軍ニ降リ官兵ト相抗スセントスルヲ患ル也、嗚吁世運已ニ衰エ賄賂公行武備全ク緩ニ乘ジ」と。かくて太平天国の勢いは大いに振う事となった。

 だが太平天国撃に立ち上がろうなどという英雄は出ては来ない。「英雄豪傑ノ士傍觀乄之ヲ助ル者寡」いとは、じつに無残極まりない情況だ。そこで清国政府は「英佛ノ兵ヲ得テシヨリ、従前ノ頽勢ヲ挽回」し、なんとか太平天国軍を劣勢に追い込んだのである。

 結局、清国政府は策が尽き、「竟ニ力ヲ外國ニ借リ、僅ニ討滅ノ功ヲ奏セリ」――

 古来、中国では「好鉄不当釘、好人不当兵(良質の鉄は釘にならない、良い人は兵にならない)」といわれてきたが、「軍亦紀律ナシ、故ニ兵丁、皆武器ヲ帶テ白晝財ヲ掠メ、婦女ヲ姦淫シ並ニ忌憚無シ如シ其意ニ逆フ者アレハ、直ニ之ヲ殺シテ顧ミス其暴状淫行、遠ク賊兵ニ過キタリ、然レトモ官之レヲ禁スル能ハス、禁スレハ則皆ナ将ニ賊軍ニ降リ官兵ト相抗スセントスルヲ患ル也」の部分を読むと、さもありなんと納得すると同時に、あの南京攻防戦から時を経て突如として持ち出された「南京大虐殺」の“真相”の一端を知ることができそうだ。やはり永遠に「好人不当兵」というわけです。

 やがて「殘星落々、霜氣窓ニ迫ル」なかを、曾根を載せた舟は上海に戻る。

 この大僧の言を、曾根は如何に受け取ったか。これでもなお日清両国は「兄弟」だから、力を合わせて「外侮ヲ防キ國權ヲ張ラント」しようとでいうのか。ムリだろ〜ッ。《QED》

posted by 渡邊 at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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