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2015年04月06日

【知道中国 1225回】 「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室2)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1225回】        一五・四・初六

 ――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室2)
 『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
 
 小室信介の名は初耳でも、明治15(1882)年の岐阜で演説中の板垣退助が暴漢に襲われた事件は日本史で学んだはず。板垣退助の同志として自由民権運動を共に展開し、板垣岐阜遭難を逆手に取って「板垣死ストモ自由ハ死セズ」のキャッチコピーを獅子吼した人物が小室だった。『大阪日報』、『朝日新聞』、『日本立憲政党新聞』、『自由新聞』などに拠って国会開設運動にも尽力したが、外務省御用掛に就き、自由民権運動を離れてもいる。

 明治17(1884)年5月には『自由新聞(一名を「自由燈」)』の創刊に参加し、同紙の特派員として清仏戦争時の上海に出向いた。

 帰国翌年の明治18(=1885)年に若干33歳で亡くなっている。若き死を頭の片隅に置きながら『第一遊清記』を読み解くことも、また当時の人々の知力を知る縁となろうか。

 先ず「予輩ハ幼少ヨリ漢籍ヲ學ビタル者ナルガ故ニ支那人ノ文章ニ迷ハサレテ大ニ其ノ實地ヲ悞ル者多シ」と慨嘆するが、ここには曾根の信奉したような「同文同種唇齒ノ國」などという感情はみられない。かくて「今回ノ支那行ニ依テ始メテ平生ノ迷夢ヲ破リタリ」とする。以下、小室の説くところを、そのまま書き写してみたい。

■「支那人ノ古來ヨリ文章ニ言語ニ華麗浮靡夸大倨傲ニシテ所謂法螺ノ大ナルヿハ曾テ聞キタルヿナレドモ此ク迄ニ大ニ甚シキモノトハ想ハザリシナリ」

■「蓋シ支那人ハ古來ヨリ見聞ノ儘ヲ掛直ナシニ述ベタルヿナシ故ニ其ノ習慣風俗一切掛直ヨリ成立チテ更ニ之ヲ怪ムモノナシ」

■「支那人ノ文章ハ十ノ物ヲ百ト云ヒ百ノ物ヲ千ト説クハ普通ノヿナレバ同國人一般ニ之ニ馴レテ怪マズ則チ文章中ノ百ト云フ字ハ十ノ意ナリ千ノ數ハ百ノ物ナリト自ラ意解シテ更ニ其ノ法螺タルヿヲ覺ラザルナリ」

■「支那人ノ書籍ニ記スル所ハ四書六經ヲ問ハズ歷代ノ史類ハ勿論詩文ノ末ニ至ル迄其ノ説ク所記スル所其實ハ十分ノ一或ハ二十分ノ一ト云フ程ノ比例ヲ以テ推量セザルベカラズ」

■「支那人ガ(上海で刊行されている新聞を)木鐸トシ耳目トスル所ノ者ナレドモ其ノ記載スル所ハ中ヲ尊ビ外ヲ賤ミ自ヲ夸大ニシテ廣ク海外ノ事情ニ通ズルヿヲ欲セズ頑陋自ヲ安ンズルガ如キハ以テ支那人文章家ノ弊習ヲ見ルベキモノナリ」

■「若シ夫レ自國ノ事ニ付キ些ノ誇ルベキヿアレバ夸大溢美殆ト嘔吐ニ堪ヘルモノアリ外人ヲシテ華字新聞ノ記スル所ハ不可惜信トシテ一切棄却セラルヽニ至リタルガ如キヲ以テ其虛文ノ甚シキヲ知ルニ足ルベシ」

■「世ノ漢學者タル者一タビ彼地ニ遊バヽ茫然自失スル所アルベシ」

 まさに徹頭徹尾で完膚なきまでの“正論”であり、21世紀初頭現在の日本おける中国批判のルーツは小室にあり、といったところだ。

 中国滞在中、小室は当時の日本を代表する漢学者で知られた岡千仞と話す機会を得て、「支那ノ國情ニ及」んだ。そこで「支那國ノ風俗ノ頽廢實ニ甚シト謂フベシ絶テ書物上聞ク所ノ者ノ如クナラズ」。やはり元(蒙古族)やら清(滿洲族)などの「夷狄蹂躙シテ中國中華ノ風俗ヲ打壞シ」た結果、儒教古典が説くような古代の素晴らしい社会が破壊されたのでしょうかと、小室が問い質す。すると「翁(岡)笑テ答テ曰ク否予ノ想フニ中國固ヨリ此ノ如クナリシナルベシ」。遠い昔から、こんなものなんですね〜ッ。

 岡ですら、実際に現地を歩き現実を見聞し体験すれば、「其ノ見解ノ高キニ進ム」もの。かくして小室は「支那内地ニ旅行スル十里、十年漢籍ヲ讀ムニ勝レリト」と喝破した。その時から130年余。依然として日本は小室が打破した「迷夢」に囚われるまま。《QED》

posted by 渡邊 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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