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2015年04月14日

【知道中国 1228回】 「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室5)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1228回】         一五・四・仲二

 ――「糞穢壘々トシテ大道ニ狼藉タリ」(小室5)
 『第一遊清記』(小室信介 明治十八年 自由燈出版局)
 
 清国政府の過度の自己チューぶりを、「外人ヲシテ皆ナ『斯ク迄ニハアラジト思ヒシニ』トノ慨嘆ヲ發セシムルバカリナリ」と評す。余ほど呆れ返ったようだ。小室は続ける。「予ガ北京ニ在リシ日」の10月16日、清国の軍機大臣等が「日本公使館ニ來リ我公使榎本武明君ト時事ヲ議」した。一行の1人が、清国政府がフランスとの交渉を断ち切って追撃の命令を下したことを「至極最良ノ國是ヲ取リタル者ト信ジ居」り、あまつさえ清国全土の「十八省皆焦土トナルモ目下ノ清國ニ於テハ戰爭ヲ利益トナスト迄斷言」している。

 彼らは「一定ノ見識」があったわけでも、確たる「廟算」があって「斷言」したわけでもない。「唯漠然タル空想ヨリ佛ト戰フト勝ツベキモノト妄信スルモノニ外ナラズ其ノ實状ヲ察スレバ憐レムベク笑フベク氣ノ毒千万ナルモノアルナリ蓋シ現今支那内閣ノ時勢ニ迂遠ニシテ下情ニ疎ナルヿハ譬へガタナキ景况」であり、外国人が聞いたら耳を疑うほど。この情況を小室は日本に譬え、維新前に京都の「公家方ガ何ノ辨別ノ根拠モナク單ニ攘夷々々ト唱ヘルモノヽ如キ有様ヨリモ尚甚シキ」ものだとした。

 古今東西を問わず王朝・国家の滅亡の後を辿れば、政府中枢は危機に対して茫然自失で現状糊塗。「徒ラニ太平ヲ装飾シ國勢ノ日ニ蹙ルヲ憂ヘザル」ものであり、こういった例は「就中支那歷代ノ歷史ニ於テハ其跡昭々タルモノナリ」。だから清国政府の現状からして、もはや政府の体をなしているわけではなく、「其衰運ニ傾キタルモノナリ」と。

 貧すれば鈍すではないが、そうなって仕舞う背景は国の「上下懸隔言路壅塞シテ」、国が置かれている窮状・惨状を明確に冷静に上に伝え、上がその報告を正確に把握し、的確な判断を下さないからだ。国家危急の秋こそ、「上下懸隔言路壅塞シテ」はならないのだ。

 ここで翻って昭和20年本土決戦に傾こうとした我が帝国陸海軍中枢における伝えられるところの内情を考えると、「唯漠然タル空想ヨリ・・・現今支那内閣ノ時勢ニ迂遠ニシテ下情ニ疎ナルヿハ譬へガタナキ景况」との一文には、深刻に考えさせられるものがある。やはり「外人ヲシテ皆ナ『斯ク迄ニハアラジト思ヒシニ』」であったのだろうか。「敵を撃滅し赫々たる戦果を挙げたり。我が軍の損害は軽微なり」との勇壮極まりない報告では、「唯漠然タル空想」と見られても致し方がないといったところだ。

 さて清仏戦争に対する清国政府の対応に戻ると、台湾占領に向けて動き出したフランス軍の動きを在北京在外公館のなかで最も早くキャッチした日本公使館は、「隣国ノ好ミナレバ」と、その旨を清朝衙門(政府役所)に大至急で伝えた。すると衙門の「属吏ドモ之ヲ受付ズシテ曰ク今日ハ中秋ノ佳節ニテ朝廷ニテハ中秋ノ御宴ヲ催サレ親王大臣及ビ百官ハ御宴ニ陪席セラレタレバ當衙門ヘハ一人モ出頭セラルヽ人ナシ因テ受付ガタシ」と応じた。

 日本側は「貴國ノ一大事ニテ一日片時ヲモ爭フ程ノ者ナレバ兎ニ角速ニ受取リテ之ヲ大臣」に伝えるよう申し出たが、「今日ノ御儀式ノ重ケレバ斯様ノ儀ハ受次難シトテ之ヲ拒絶」したとのことだ。

 後日談として、小室は清国軍機大臣と榎本武楊公使と面談の様子を綴っている。

 台湾では「佛兵三百余人ヲ打取リタリ」と軍機大臣。これに対し榎本は、諸外国の公電でも日本側が把握したところでも「佛人ノ死傷ハ四五十人ニ過ギザル由」と伝え、貴方の情報の出所は、と。すると大臣は「台灣ノ劉銘傳ヨリ直ニ電報ヲ以テ我政府ニ報告ナシタル者ニテ確固タル説ナリト」。じつは当時、台湾と大陸の間には電報施設がなかった。そこで榎本は笑いを堪えながら、「何カ間違ヒナルベシ」と。だが大臣は「劉銘傳ヨリ電信アリシニ相違ナシ」と譲らない。そこで従者が大臣に「台灣ニハ電線ハナカリケリ」と小声で伝えた。全く以て時代遅れで自己チューでマンガ・・・いや〜アンタは偉いッ。《QED》

posted by 渡邊 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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