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2015年06月29日

【知道中国 1253回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎10)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1253回】               一五・六・仲六

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎10)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 台湾北部の要衝といえば、太平洋岸の基隆、台湾海峡に面する淡水、その両地の中央部に位置する台北だろう。基隆と淡水へのフランス海軍の攻撃に対し、清国側の防戦情報が錯綜する。奮戦敢闘なのか。はたまた惨敗遁走なのか。いずれにせよ現地からの情報は一定しない。どうやら各地の軍事や行政の責任者が論功行賞を第一に考え、虚偽・粉飾報告をしているらしい。かくて尾崎は、「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」と。

 10月半ばの日曜日。その日は「冷氣甚だ嚴。次で雨至り冷氣u々嚴」。さすがの尾崎も「孤客天涯の愁を知る」などと、柄にもなく寂しさが募ったようだ。折よく客があり、「清國當今の情形を話」してくれた。さて客とは岸田吟香か、はたまた小室信介か。

 「支那政府の衰壞今日に至て極まる」と、客が切り出す。全文を書き写すべきかと思うが、相当の長文であり敢えて概略を現代風に書き改めてみたが・・・思えば明治17(1884)年の26歳の若者の文章を、130余年後の平成27年に60代後半が現代風に置き換えるのに四苦八苦するとは。何とも情けなく、猛省するしかない。それはともかくとして、

 ――中国政府の崩壊ぶりは、現時点で極まったというべきだ。外交部は外交の大権を預かり極めて重要な任務を遂行すべきなのに、担当幹部は海外の事情に全く疎く、その昔に外国を蛮夷として扱った感覚のままに欧米諸国に対応しようとする。そこで彼らは一時の弥縫策を弄そうと苦心惨憺しているわけだ。欧米諸国なんぞは蛮夷にすぎないと振る舞ってみせるが、それは国内向け。だが、その国内向けの詐術に気づいた欧米諸国の外交官から詰問されると、ありとあらゆる美辞麗句や身勝手な言い訳を並べて誤魔化す。全く恥というものを知らない。

 相手が鋭敏で中国側の底意を見破って糾弾するや、直ちに手の平を返すかのように平身低頭だ。そして「これは旧来からの方法で、こうでもしなければ国民の中の孔孟の道を弁えない『教外の民』を手懐けることはできないわけでして・・・」と、言い訳がましく口にする。国内向けと外国向けの姿勢の使い分けを、外国人は「嘘つき外交部」と嘲り笑う。

 官吏は黄金(ワイロ)の多少に応じで任命し、解雇する。黄金が多くなかったら、高い官位に就けるわけがない。科挙という官吏採用試験があるとはいうが、試験官に対する受験者の付け届けがモノをいうわけで、試験成績の優劣は余り意味がない。だから科挙試験の合格者といっても、地方試験である郷試合格者の秀才、上級レベルの会試合格者の挙人、皇帝の面前での最終試験の殿試に合格した進士であれ、全ては黄金の多少に拠るわけだ。

 中国人の著書に「委重資而得官(「重資=大金」ニ委ネ官ヲ得ル)」との表現が見えるが、それは如何に頭脳が優れていようが、莫大な黄金を贈らないとゼッタイに官吏になれないということを指摘した言葉だ。

 ならば科挙合格者で官吏に採用された者の全部が金持ちの息子かというと、必ずしもそうではない。貧乏人の子弟でも多くの黄金を贈りさえすれば、官吏になれる。そのカラクリはというと、将来有望な若者がいれば、スポンサーが現れるのだ。殊に最終試験の皇帝の面前での口頭試問である殿試に受験しようなどという飛び切り優秀な若者が北京に到着するや、四方八方から金持ちが現れ、大金を手にスポンサーとして名乗り出る。

 提供された大金を試験官に贈って合格し高い官位に就くなた、今度は収賄に努め金銭を掻き集め、利息付きでスポンサーに返礼する。そこでスポンサーは時に初期投資の数10倍の利益を得ることだって珍しくない。中国では、官位もまた利殖のための投機商品――

 尾崎は「亦以て清廷の外交法、及び考課任用法の一斑を窺ふに足れり」と綴るが、あるいは共産党政権の「外交法、及び考課任用法の一斑」にも通ずるような・・・。《QED》

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2015年06月26日

【知道中国 1252回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎9)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1252回】            一五・六・仲四

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎9)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 じつは台湾防備の責任者の一人である劉銘伝は、かつてフランス軍が基隆を砲撃するや、計略を用いてフランス軍を必敗の地に誘い込んで「斬獲する所ありたり」と北京にニセ報告を送って「恩賞を得」た。加えて今回は基隆にフランス兵を招き入れ、相手のスキを衝いて「數百名を截殺したり」と、またまた虚偽報告らしい。さすがに北京政府は誤魔化せても、基隆の住民は騙せなかった。かくして「基隆の民劉銘傳の毫も防戰する所なく、佛艦の砲撃を聞て、直ちに走れるを憤り、蜂起して之を殺さんとしたるの報」に接した尾崎は、「此説却て信據す可きに似たり」と記した。

 先に立つ者が怯懦と詐称、卑怯とウソ八百では、戦争に勝てるわけがない。

 某日、またまた温州暴民の詳報に接した。尾崎は、これまで得た情報から暴民の背景を次のように推測する。

 「今暴擧の原由を尋ぬるに、[中略]佛國の和破れ政府頻に戰備を整へ。又地方官諸種の諭告を發し、民心を激勵せるより、無智の小民俄に外人を惡むの情意を動かし、事あらば直ちに起て外人を苦め、其財貨を掠めんと欲するの際、恰も好し小童一夜宣ヘ師を妨げ、聽講者の抑留する所となる。是に於て行路の人群を結んで、講堂を襲ひ、轉じて諸方の耶蘇ヘ院と、宣ヘ師の私館とに向て、時に馳て暴徒に與みする者漸く増加し、終に火を四方に放て、外人の館宅を焼き、其の財貨を掠奪するに到れり。嗚呼亦暴矣」

 ――フランスとの和議は叶わず、政府は軍備を整える。地方政府の煽動で、無智蒙昧な民衆は外国人嫌いに奔り、機会をみつけては彼らを苦しめ財産を掠奪しようとする。某夜、宣教師を妨害した子供の身柄を信徒が押さえたところ、道行く烏合の衆が騒ぎだし、徒党を組んで教会講堂を襲撃したうえに、各地の教会やら宣教師宅に向った。暴徒に与する者が道々に膨らみ、遂には各所に火を放ち、外人の家を焼き討ちし、財産を掠奪するに至った――

 かくて「嗚呼亦暴矣」と嘆くことになるが、南方の汕頭でも同じような宣教師襲撃事件が発生したことを知った尾崎は、こういう「暴擧を再演」しないようにすることが、「豈に啻だ外人の幸福のみならんや、實に清廷の幸福也」と。まあ、こんな愚挙を繰り返すことがないようにすることが、中国在住の「外人の幸福」に繋がるだけでなく、じつは「清廷の幸福」なんだと。
 これを数年前の反日運動に移し替えて考えてみれば、中央・地方を問わずに当局が「民心を激勵せるより、無智の小民」が反日運動に狂奔し、挙句の果てには「時に馳て暴徒に與みする者漸く増加し、終に火を四方に放て」、日系企業や日本食レストランを襲撃し、勢いに任せて「其の財貨を掠奪するに到れり」という事態が発生したに違いない。全く以て「嗚呼亦暴矣」ではあるが、こういった政府が指嗾する蛮行・愚行の繰り返しは、最終的には中国の「幸福」にならないということだろう。それしても、尾崎の時代から1世紀ほどが経過してもなお「暴擧を再演」しているというお国柄だから、もはや処置ナシだ。

 某日、尾崎は宿舎でアヘン戦争から太平天国の頃までの歴史を振り返る。

思えば、かつても国家危急の時代だったが、曽国藩を筆頭に多くの重臣が私心を捨てて「畢生の能力を傾倒」し、国家のために尽くした。そこで「國家久しく寧静にして、人皆富貴の樂を受たるに至れば、各々私を計て公を忘るゝの傾斜なき能はず」。とはいえ清仏戦争に対し政府が「苟も當時の思想を懷抱し、屈せず撓まずして弊を矯め利を興すの事に從」ってさえいれば、清国もここまで無残な姿を露呈することはなかったろうに。尾崎は慨嘆は続く。

現在の中国もまた、「人皆富貴の樂を受たるに至れば、各々私を計て公を忘るゝの傾斜なき能はず」ではある。温州、汕頭に次いで蕪湖から「人民不隱の報」が届いた。《QED》

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2015年06月22日

【知道中国 1251回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎8)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1251回】           一五・六・仲二

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎8)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 先ごろ「香港の民暴擧して外人に當」ったと思ったら、今度は上海に近い温州から「暴民蜂起して、宣教師其他外國人の居館を破壞し、支那政府の税關も亦破壞せられたり」との新聞情報が伝えられた。原因や背景については全く報道がなされていないが、「無智小民の爲す所強て咎むるに足らずと雖ども、溯て其原因を求むれば、各地の官吏頻に人民を煽動して、佛人を苦しめんとするが如きも亦一大原因に非ずと云ふ可らず。而して斯る暴動の弊を被る者は外人に在らずして、清廷也」と。

 「暴民」による狼藉を探ってみれば、各地の役人が無智蒙昧な人民を唆してフランス人に嫌がらせをしようとしていることが原因と考えられるが、当面はフランス人をはじめとする外国人が困惑するが、最終的には清朝中枢に跳ね返って来る。役人の軽挙妄動といったところだが、数年前の官製反日運動を振り返ってみれば、昔も今も同じじゃないか。

 フランス軍が厦門を攻撃との報道があった。ニュースソースが上海の責任者である道台ということで、尾崎は愈々ウソ臭いと痛感する。それというのも、緒戦段階でフランス海軍によって福州が一撃されたことで各地の将軍たちが戦闘意欲を喪失し、鳥の羽音にも腰を抜かすほどに浮足立ち疑心暗鬼に陥っている。であればこそ「南方駐守の将軍」たちがフランス軍による厦門攻撃の「虛説」を信じ込み、上海の道台への報告に及んだのだろう。

 ところが、である。「聞く所によれば佛士官の擒にせられたる者三名あり」て、「清将は之を諸營に送って遍く軍中に示し、頗る辱侮凌遲を極めたる後ち、終に之を殺して、其血を飲み、其心臓は之を士官に分ち、其身體は之を兵卒に與へて、食はしめたる者の如し云々。眞僞亦詳らかならずと雖ども、清人の殘忍なる必ずしも此事なきを保す可からず」。かくて、「余一讀慄然」と加えた。

 ――負け戦を繰り返し意気消沈していた清国軍だが、偶然にも3人のフランス軍士官を捕虜にした。そこで、俄かに勢いづいた司令官は3人を各地の軍営に送り凌辱を加え生かさぬように殺さぬようにじっくりと時間をかけて切り刻み、殺した末に血を啜り、心臓は士官に五体は兵卒に分け与え、これを食べてしまったようだ。この情報の真偽のほどは明かではないが、清国人の残忍さを考えるなら、なきにしもあらず――

 中国人の惨忍さを知ればこそ、このおぞましい蛮行を尾崎は信じ、かくて「余一讀慄然」ということになるわけだ。尾崎が「慄然」としてから80数年が過ぎた1960年代末の文革時、広西チワン族自治区で文革派が政敵の肉体を切り刻んだ挙句に焼いて食べてしまったという事件があったと報じられているが、まさに民族のDNAというものだろうか。尾崎ならずとも、やはり「余一讀慄然」と呟かざるをえないところだ。

 某日、福州から電報で伝えられたところでは、台湾の基隆の戦闘で清国軍が大勝した結果、「法兵數百名を截殺し、洋槍千餘を獲奪す」とのこと。だが、一帯の電信の不通状態からして、この情報には裏がある。そこで尾崎は諸般の情況から察して「清人得意の構造説」だろことは間違いないだろうと推測する。「構造説」、つまりデッチ上げである。

 万に一つ「法兵(フランス軍)」は敗北したとしても、伝えられるほどまでには周章狼狽することはない。「清将の狡獪なる豈に其軍素有洋槍を以て、僞つて佛軍より獲奪せる者と爲し、之を北京政府にじて、恩賞を貪るの意に非ざるなきを得んや」と。

 別の報道ではフランス側が人を雇って福建から台湾、さらにはヴェトナムに通ずる「電線を割斷し、以て軍報を阻」もうとしたとのことだが、電線は、「寧ろ佛軍に利有て清國に利なし」。いや清国は利用することすら知らない。かくて尾崎は、「清人己が陋見を以て他を準則す、一笑す可きのみ」と。ズバリ。バカに付ける薬はない、ということでしょう。《QED》

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2015年06月20日

【知道中国 1250回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎7)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1250回】           一五・六・十

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎7)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 尾崎が得た情報に拠れば、清仏戦争に際しての清国側の対応は常軌を逸しているというよりはメチャクチャの一語だったようだ。

 たとえば台湾北部に位置し台湾海峡に臨む要衝の淡水港が陥落したとのことだが、守るに易く、攻めるに難いと評判の淡水港の構造からして、陥落の「原因恐らくは佛将の剛勇なるに在らず、却て清兵の法弱なるに在らん」と。たぶん守りを固めることなくタカを括っていた清国軍は、攻め寄せるフランスの艦船に度肝を抜かれ恐れをなし、司令官共々這う這うの体で山中に遁走したんだろうと推測する。

 また清国政府の対応からすれば、実力者を広東・福建などの責任者に任命するなど南方重視の姿勢は見受けられるが、これら責任者が福建・広東住民は言うに及ばず、「其印度地方に在る者と雖も、苟も支那人民たる者は、皆敵愾の志を起し、止むなくんば毒を飲食物に加へて、佛人を毒殺す可き旨を勸」めたというのだから恐れ入る。遠くインドに住む華僑にまで場合によってはフランス人を騙して毒殺せよと命令したとは、「敵愾の志」も度が過ぎている。かくて尾崎は「嗚呼、兩國兵を交ゆるに方り、無智の人民を煽動して毒殺を進むる、既に野蠻の惡習たり、況んや檄を傳へて他邦の領地に及ぼすをや」と。

 確かに戦争ではある。だが、だからといって何をしても許されるというわけはないだろうに。自国の「無智の人民を煽動して」、敵国のフランス人に対する無差別の「毒殺を進む」などは、実に「野蠻の惡習」の極みだ。そのうえに、「他邦の領地」であるインド在住の華僑にまで檄を飛ばして「野蠻の惡習」の実行を命じたというのだから、これはもう手が付けられないほどの「野蠻の惡習」だろう。さすがの清朝皇帝も「今ま上諭を以て(担当者)の妄擧を」叱責した。そこで皇帝の対応を「蓋し處事の當を得たる者」と一応は評価する。

 それにしても、である。数年前、国防なんとか法とかいう法律を定め、情況の如何を問わず、国家有事の際には海外在住者も北京政府の指令に従うべしとしたはずだが、ひょっとして、この法律の原点が清仏戦争当時の「野蠻の惡習」にあったとしたら・・・。尖閣が発端で東シナ海有事、あるいは南シナ海での島嶼領有をめぐっての紛争が勃発したとして、中国政府が「無智の人民を煽動して毒殺を進むる」なんてことになったらタイヘンだ。国際情勢は有りえないことを考えることが肝要だといわれるだけに、周辺の諸国は「野蠻の惡習」に呉々も要注意、いや厳重注意! そんなバカなことが、では済まない事態をも想定すべし。

 某日、『北清日報』が当時の最高実力者の李鴻章・直隷総督とヤング・アメリカ公使との会談内容を伝えた。李鴻章の「語氣頗る勁にしてヤングの談鋒甚だ弱し」。その内容から、どうやら李鴻章に近い記者が直接聞いた記事だろうと判断した。それによれば、李鴻章はヤング公使に、なぜフランスは福建やら台湾などという辺境で戦っているのか。辺境での区々たる勝利に喜んでいることなく、艦隊を堂々と北上させ、李鴻章麾下の北洋海軍と一戦を交えないんだ、と言い放ったとか。フランス海軍よ、来たらば一気に捻り潰してくれようぞ、というのだろう。確かに記事全般からは「人をして李氏豪岸不屈の氣象を想見せしむ」。だが、「然りと雖ども是れ唯英雄人を欺く一時の大言に過ぎず。其實行に至ては李氏と雖ども必ず之を難ず可し、否李氏の眞意恐らくは此言の反對にあるらんのみ」と。

 昔日の栄光はともかくも、大口を叩いたところで、それは大ボラに過ぎない。流石に李鴻章だ。「豪岸不屈の氣象」だと世間は持て囃すだろうが、「李氏の眞意恐らくは此言の反對にあるらん」、つまりフランス海軍にビビッているに違いない、と。

 江沢民、胡錦濤、習近平と。年齢を感じさせない豊かな黒髪から「豪岸不屈の氣象を想見せしむ」るに十分だが、その「眞意」は「此言の反對にあるらん」でしょうか。《QED》

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2015年06月18日

【知道中国 1249回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎6)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1249回】            一五・六・初八

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎6)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 尾崎は批判の矛先を納めない。

 「俗語に話半分と云ふこと有れど、支那人の記事は皆百分の一位に見て適當なる可し、若し史上英雄の言行を見て其れ人を慕ひ、或は文人學士の遊記文を讀んで其地に遊ばんと欲するの念を起こすが如き者あらば、是れ未だ支那の文法を知らざる者のみ、支那の文章は古より事を皇張して、少なきも數十倍、多きは則ち數百倍に至る者と知る可し、故に文を習ふとは唯字句を修むるの謂ひに非ずして、盛んに想像力を磨き、猫を見れば直ちに筆を援て虎と書するの謂ひ也、後の漢文を修むる者宜しく之を銘す可し」。

 もはや、これに何を加えればいいのか。そういえば敗戦後、日本は蔣介石の「報怨以恩」にコロっと騙され、「百戦百勝」の毛沢東思想に翻弄され、ケ小平の「社会主義市場経済」に資本と技術を献上し(カモ葱だっただろう)・・・尾崎が生きていたら、戦後の日本の対中姿勢をどう叱責したことか。それにしても彼らの「想像力」には頭が下がる。

 これまた香港留学当時の経験だが、ある日の新聞に「諸物価変動の折、当店では価格調整に踏み切りました」と。なんのことはない。値上げです。値上げは「価格調整」である。価格を「調整」するのだから、「調整」の結果としての値下げもあってよさそうなものだが、それは絶対にない。冬、そぞろ冷たい風が吹き始めると、犬肉の屋台が店を出す。その場合、「狗肉」なんぞと無作法な呼び方は絶対にしない。飽くまでも「香肉」と呼ぶ。同時期、些か気の利いたレストランは店の入り口に、大きく派手な「龍虎鳳大会」の横断幕を掲げる。「龍」は蛇、「虎」は猫、「鳳」は鶏。ヘビとネコとニワトリの鍋料理である。あれが「蛇猫鶏大会」では面白くないし、うまそうでもない。とはいうものの、70年代前半の5年ほどの香港では、「香肉」はもちろんのこと、「龍」「虎」「鳳」にも大いにお世話になりました。改めて感謝です。誤解を避けるために、「香肉」「龍」「虎」「鳳」は決して低価格ではなかったことを、敢えて一言添えておきたい。

 さて尾崎である。10月3日にロイターが伝えたフランス政界の動向から、フランスの清国に対する姿勢の変化を読み取った。従来、フランスは清国に対し「我が要求を拒まば、直ちに支那無双の要地たる福州を擊破せんのみ」と恫喝していた。だが、清国側は「激してu々要求を拒む」のみ。そこで業を煮やしたフランスは「福州の武庫船廠及び兵艦」を押さえ、清国の出方を見ることとした。「爾来茲に月餘、清廷の巍然として動かず」。かくして尾崎は、フランスは「其支那政策の過を改め、從來頻にR耀せる虛勢を變じて、實形と爲すの第一歩と爲す」と読んだ。

 同じ時期、山東省からは元英国人で「米國聖書協會の派遣員」が「暴民」に「暴殺」されたとの情報が伝わる。「山東は從來無頼の民多く、平常と雖も難治の聞え有る省なるに、頃飢饉の患有て盗賊頻に横行し、滿洲の馬賊(平生馬に乘て賊を爲すが故に名づく)さへ入込み、人心頗る穩からなず」。そこで、この情報が正しければ報復は必至であり、「清廷の一難と爲る可し」と予想する。

 一難去ってまた一難ではなく、さらに一難も二難も加わる。清国政府にとっては弱り目に祟り目だ。「福州の郷縉」が北京の清国政府に対し、福建の軍事・行政の責任者が「密に佛軍と通ぜることを殫奏」したらしいというのだ。彼はフランス海軍への先制攻撃を主張していたが、北京が一向に許さない。そうこうしているうちにフランス海軍の攻撃に遭い、清国海軍は壊滅状態。北京は彼に敗北の責任を負わせようとした。「其事既に甚だ奇」だが、そのうえに「郷縉」の「殫奏」である。「奇も亦極まれりと云ふ可し」と。

 「奇」のうえに「奇」が重なる清国政治。どう見ても正気の沙汰ではない。《QED》

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