h230102-0340-2.jpg

2015年06月13日

【知道中国 1245回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎2)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_hyoshiphoto.jpg

【知道中国 1245回】           一五・五・三一

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎2)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 当時の上海は新開の地である「英佛米租界」と、城壁に囲まれた「支那人の住する」城内とに分かれていた。後者こそ「眞の上海」であり、ここに足を踏み入れて初めて上海を見たといえる。そこで、尾崎は「上海の地理に熟する者に會する毎に必ず先導」を依頼した。だが、不案内、あるいは多忙を理由に断られてしまった。小室と福原とが運よく案内役を買って出てくれたので、2人の先導で「眞の上海」に向うこととなった。

 城内の道は人力車すら通れないほどに極端に狭いから、城門の前で人力車を降りる。すると「汚穢甚だしうして臭氣鼻を衝くが故、各皆巻煙草に點火して防臭劑と爲す可きを以てす」と。そこで尾崎も火を点ける。日頃はタバコを嗜まなかったそうだから、尾崎も咽せかえったことだろう。準備できたところで、「眞の上海」の探索の始まりはじまり〜ッ。

 まず城門の上に据えられた大砲。古色蒼然として、どう見ても300年以上昔に造られたものとしか思えない。近くに「赤色の粗衣を穿ち垢面亂髪或は坐して煙を吹き、或は椅に倚て假眠す」る「數名の賤丈夫」がいた。てっきり乞食と思ったら、じつは「城門を守る武夫」だった。超旧式の大砲に乞食と見紛うほどの弱兵。これでは城門防備の役に立つわけがない。やはり「眞の上海」は清国の真実――無様さを象徴していた。

 「街衢」は極めて「狹隘」。小石で舗装してあるが、「汚物穢品石路に散亂し、少しく注意を怠れば忽ち衣を汚すの恐あり」。道を先に進むほどに店舗は建込み、道はいよいよ狭く感じられる。進めば進むほどに悪臭が鼻を衝き、「同行の士皆鼻を掩ふ」。さらに進むと、ゴミだらけの薄汚れた溝に小汚い小橋が架かっていた。「支那人文字に巧み」だから、きっと想像もできないような「美名」を付けているだろうと思いきや、案の定である。なんと「北香花橋」というではないか。噴飯、これに尽きるというべきか。次に出くわしたのが、濃い黄色に濁った水面がブクブクと泡立ち、悪臭が噴き出している池だった。そんなキケンな池の中央に浮かぶ四阿が「湖心亭」で、そこに通じるのが「九折橋」。湖心亭では、いまや労働者たちが「裸體にして茶を飲み煙を喫す」。

 かくて「總て支那人は文字使用するに巧みなるが故、地名人名其他文字上に現はる者を見れば甚だ美にして慕ふ可きに似たりと雖ども、就て其實を察すれば忌む可く厭ふ可き者多し」ということになる。この尾崎の考察に従えば、毛沢東の「人民のために服務せよ」から始まって、習近平政権が掲げる昨今の「一帯一路」「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」まで、「其名の美なるに迷うて其實の粗惡なるを忘るゝ勿れ」ということになるのだろうか。

 尾崎は「眞の上海」の探索を続ける。

 関羽廟に詣でたが、「結構粗ならずと雖ども汚穢厭ふ可し」。廟を辞して進むと、「惡臭uす甚だしく、間々無蓋の糞桶を擔ひ走て狹路に過ぐる者あり」。こんなものにぶつかったらひとたまりもない。全身が黄金色に染め上げられてしまう。とはいえ、それを避けるには店に飛び込むしかない。かくて「無用の品物を買うて漸く汚瀆の難を免るゝを得たり」。

 とにもかくにも雑然極まりない街全体を、ジットリと悪臭が包み込んでいるようだ。「眞の上海」を概括するなら、「街衢頗る狹少にして溝渠縦横に通じ水陸共に甚だ汚穢なり」。だが、それでも「他の都邑(北京南京其他の大都)に比すれば清潔なりと云ふ」というからには、北京や南京は想像を絶するほどの汚穢ということになる。

 「城内にて見聞せる事項中奇なる者甚だ多」いが、なかでも「罪人を路傍に放置し、其路人を見て錢を乞ふことを許すの一事」には大いに驚く。しかも「罪人は毫も之を耻ぢず」という。さて、この錢は最終的には誰の手中に。役人、罪人、それとも折半?《QED》
posted by 渡邊 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 考えてみた
空き時間に気軽にできる副業です。 http://www.e-fukugyou.net/qcvfw/