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2015年07月16日

【知道中国 1258回】「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎15)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1258回】            一五・六・念六

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎15)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 某日は「暴風雨、窓戸鳴動」である。だが中国の家屋はビクともしない。そこで尾崎は、「此暴風雨をして日本の在あらしめば、家屋の倒破する者必ず多かる可し。支那人の家屋は汚穢厭ふ可しと雖も其結構頗る堅牢、此暴風雨に遇ふも毫も倒破の患なし。支那人能く此堅牢の家屋の家屋を構造するの力有て、之を修理掃清するの風習なく、終に宏壮の家屋をして、惡臭紛々幾ど迎ひ近づく可らざるの状態に陥らしむ」と考えた。確かにどうしようもなく汚いが、これだけ堅牢な家屋を建てられるのに、なぜ修理・保全をせず、壮大なゴミ屋敷としておくのか、と。そこで「豈に奇ならずや」となるわけだが、尾崎の考えは家屋から国土全般に及ぶ。

 「此奇態は獨り家屋に於てのみ之を見るに非ず、國土に於ても亦之を見る也。夫れ支那の國たる境域極て廣く、人民極めて多く、土壤極めて肥たり。其政府をして苟も敗頽を修理し、弊習を掃清するの術を知らしめば、富國強兵手に唾して之を得可く、全歐の諸國に對敵して戰ふことを得可し、又何ぞ區々たる佛國の偏帥に蹂躙せられて、恐怖戰慄するが如きことある可んや」

 ――国土は広大で、人口は余りにも多い。そのうえ土地は肥えているのだから、政府が十二分に心を砕き、悪い伝統・習慣の改善に努めるならば、富国強兵は容易であり、ヨーロッパ諸国を敵に回したとしても、堂々の戦をできるはず。フランスのヘナチョコ野郎に思うが儘に振る舞われ、ビクビクすることもなかろうに――

 尾崎は続ける。「其今日東蹶西躓動もすれば獨立だに保持する能はざるの形勢あるは、風氣頽敗して之を匡救することを知らず、人心萎靡して之を振作することを知らず、其國家に於ける恰も家屋に於けると同じく、毫も修理掃清することを知らざるに坐するのみ」

 ――現在、時の流れに抗い、何とか方策を講じてはいる。だが、それも無駄というもの。独立さえ危ぶまれる。頽廃する一方の国内情況を匡正すことを忘れている。だから人心は萎縮するばかりで、国内に覇気・元気がみられない。それは、まるで家屋の修理・保全を忘れた姿に同じであり、坐して国家崩壊を待つばかりだ――

 この日、ヴェトナム北部から「清兵大勝」の報が届いた。これは「清國官吏の手に出る者」だが、じつは既に同地からフランス軍勝利の報告が「佛将の手より到」っている。かくて尾崎は、「戰一にして其勝敗を説く各々異なり、余甚だ其何れが是非を判定するに惑ふ」と。とはいえ、これまでの経緯から考えれば「清兵大勝」は眉にツバ、だろうに。

 某日、フランスが新たに7000人を派兵したとのロンドン発の電報に接する。そこで尾崎は、フランスが相手にしているのは「堂々たる支那帝國」であり、「四億有餘千萬の人口を有する大國」である。にも拘わらず僅かに7000人という。「佛将の眼中既に清國なきを如何せん」。酷く舐められたものだ。かくて尾崎は「嗚呼亞洲の歐州と競はざるや久し、今日佛政府清廷を遇するの法を見るに、幾んど大人、小兒を弄するの觀あり、余覺えず長嘆大息す」と。そこで「静坐して亞洲向後の趨勢を沈思黙考」していると、家の外で「喧嘩騒擾の聲恰も百雷一時に墜つるが如き者あり」。何だと思って慌てて窓を開けると、目の前の蘇州河を行き来していた炭船が小蒸気船と衝突し転覆した直後だった。

積み荷の炭が荷崩れし河を漂い始めるや、辺りを航行していた船が一斉に衝突現場に急行し、「先を爭ふて水に漂ふ木炭を撈取する也」。ドサクサに紛れて誰もが木炭を「盗むの意有」るからこそ、「甲乙相毆ち丙丁互に爭ふて此一大騒擾を生ぜるのみ」。この浅ましい姿を前に、「余之を見て禽獸食を爭ふの状あるを嘆ず、禽獸尚ほ禮讓の道を知る者あり、支那人の人毎に盗心は所謂人を以て飛禽走獸に如かざる者」。さもしい限り、である。《QED》

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2015年07月14日

【知道中国 1257回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎14)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1257回】                一五・六・念四

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎14)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 某日の朝食時、天津から戻った小室がやってきて北京・天津一帯の情況を「支那人の利を見るに急なる、道を問ふも尚ほ錢を請ひ社寺に至れば一門を開く毎に必ず錢を請ひ甚だしきは既に過ぐるの後ち急に之を閉ざし再び錢を與ふるに非ずんば其出還を許さゞるに至る」と、詳しく語っている。

 些か強引だが、これを現在に置き換えれば、日本企業が進出しようとすれば「必ず錢を請ひ」、収益が挙がらず工場を畳んで日本に引き上げようとすれば、なんのかんのと屁理屈を並べては妨害し、「再び錢を與ふるに非ずんば其出還を許さゞるに至る」といったところだろうか。どうやら民族の下卑た性根は“一貫不惑”ということだろうが、それにしても誠に困った始末の悪いことであることか。

 続いて小室は説く。各地にみられる孔子廟は「曲阜の本廟を模せる者にして、結構壮大ならざるに非ずと雖も、築造後一たびも之を修理せるの色なく、乞兒の如き者之を守て毫も掃清の役を執らず、糞尿、門の内外に狼藉たりと」。この小室の慨歎溢れる報告を聞いた尾崎は、「孔夫子若し靈あらば支那に在て此薄遇を受くることをせず、何ぞ去て我が昌平橋畔の廟社に轉居せざるや」と、孔子の霊に向って御茶ノ水・昌平橋脇の孔子廟への転居を勧める。確かに中国や台湾各地の孔子廟をみるにつけ、規模や豪華さは別として、その森厳な佇まいからいって、天下広しと雖も我が昌平橋の孔子廟に勝るものはないはずだ。

 清朝で終わる歴代封建王朝を一貫し、20世紀前半に各地に割拠した軍閥から?介石の中華民国を経て現在の共産党政権――なんせ彼ら共産党政権は、海外文化侵略・洗脳拠点に孔子の名前を冠し孔子学院と呼んでいるほどだから――に至るまで、いや海外の華人社会でも、孔子は中華文明の始祖と崇め奉られている。ならば孔子廟を、それらしく維持管理すべきだろう。いやしくも21世紀初頭において、「曲阜の本廟」で曲阜ブランドの安酒を売るとは正気の沙汰ではないように思う。だが、孔子は葬儀屋の倅だったということだから、酒を売るのもアリかな。なんせ「支那人の利を見るに急」なわけだから。

 あるいは日本人が孔子を異常なまでに買い被り、その“源氏名”ともいえる「至聖」の2文字に過剰反応を示し、極上の扱いをしてしまったということではなかろうか。その昔、明の遺臣・朱舜水が命からがら逃れて来た日本で、「ここに真の中華あり」と呟いたとも伝えられるが、彼の慨歎は存外に正解だったかもしれない。

 閑話休題。

 当時、清国を代表する勇将といえば李鴻章と左宋棠の2人だった。李は北洋海軍を率い、左は多くの兵を擁し福建へ向け北京を進発する。この2人が力を合わせ一気に台湾を衝けば戦況は有利に展開するはずが、李は虎の子の北洋海軍を「旅順港其他の港灣に密閉し、以て佛軍の攻?を避けしむ」。それというのも海戦となれば敗北は必至だからだ。

 一方の左は北京から南京まで出張って来ているが、兵を台湾に急派する気配がみえない。肝心の台湾では、「佛兵決して?退し難からずと雖も、如何せん清兵の怯弱なるは幾ど名状す可らざるの程度に至」るうえに食料も兵器も十分ではない。内陸部には「化外の蠻民有りて、剽掠を業とし、動もすれば清兵を屠て、其衣服を剥ぎ、其粮食を奪はんとす」といった情況だ。これでは台湾でも、フランス軍を敗退させることができるわけがない。負け戦は必至ということ。

 そんなところに、台湾を守る劉銘傳軍がフランス軍を破り淡水を回復したとの勝報が北京に達した。だが「未だ眞僞を知らず」。一方、フランス公使はフランス海軍が事実上台湾を封鎖したとの公文が発した。どちらの情報が本当か。すでに答は明らかだろう。《QED》

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2015年07月11日

【知道中国 1256回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎13)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1256回】               一五・六・念二

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎13)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 またまた淡水からの戦況報道だが、今度は「英人の手に成れる者なれば強ち偏頗の報道には非ざる可しと思うはる」。いわば中国人の報道は客観性の欠片もなく、自己中心の「偏頗」に過ぎるということだろう。

 この「英人の手に成る」報道から、この戦争に対するフランスの目的を「固と大規模大計劃有て、施措する者に非ず、その目的唯安南の保護權を確定し、實費に倍?する所の償金を攫取するに過ぎ」ずと見做した。これは「世人皆推測する所」のようだ。つまりフランスは、@安南(ヴェトナム)の保護領化、A実費を数倍する賠償金の獲得を狙っているに過ぎない――というわけだ。

 ならば「速やかに其目的を達するの要は、先づ支那政府を錯愕恐怖せしむるに在て、之を錯愕恐怖せしむるの道唯充分の兵力を備へ、迅雷耳を蔽ふに及ばざるの勢を以て、連りに沿海の要地を陥るゝに在り」。つまり、戦争目的を達するためにフランスは、十分な軍事力で中国沿海の要衝を一気に占領し、清国政府の度肝を抜いて恐怖愕然とさせればいいだけのこと。だがフランスは僅かな兵力を「南洋の僻地」、つまり台湾に派遣して破れるという情けない始末だ。こんなことを繰り返していては、「唯其目的を達する所以に非ざるのみならず、却てu々を遠ざかる所以也」と。清国にすらバカにされてしまうぞ、である。

 そこで尾崎は戦況視察から上海に戻った我が海軍の天城艦を訪れ、台湾の実情を聞き質す。士官の懇切な解説に拠れば、基隆に上陸したフランス兵を清国軍が敗退したなどということは「全く無根の妄説なり」。やはり、そうだった。

 じつはフランス兵は少数だが、全員がヴェトナムでの戦争を体験してきており、実戦経験十分であり「裕然として毫も清兵に恐るゝ所なき者の如し」。フランス兵に倍増すと思われる清国兵は有利な態勢で「天險の地を守る、之をして苟も戰意あらしむれば、佛将の戰に長ずるも、其一兵だに上陸する能はざるべし」。だから「若し基隆の守兵をして、敵と同等の勇氣と熟練とを有せしめれば」、決してフランス兵などに敗れることなどないはず。フランス兵の上陸を許し敗れたということは、とどのつまり清国兵の「其怯弱實に驚く可し」。

 これに対し淡水では、「明治七年我が兵臺灣を征伐の日、命を受け該島に赴」いて以来、台湾防備に当たっている「守将孫開華」の指揮の下、清兵は奮戦健闘し、フランス軍を退けている。それというのも、「孫将軍臺灣に守る十年間、數々生蕃を討て、其兵稍や戰に慣るゝの致す所には非ざる乎」と。ということは「其怯弱實に驚く可」き清国兵でも、勇将の下で実戦を重ねさえすれば善戦敢闘するのではなかろうか。

 某日、友人を伴って上海城内で買い物をするものの、その惨状に唖然・呆然・慄然。

「惡臭の鼻を衝くこと依然として曩時に異ならず、乞丐児の街側糞便堆裡に平坐して、錢を乞ふ者u々多きを覺ふ。其内糞中に横臥し血を吐く數升、呼吸将さに絶えなんとして未だ絶えず、呻吟苦を叫ぶの際、尚ほ既に冷却せりと思はるゝ計りの痩手を出して、錢を乞ふ者り」。そこで尾崎は「一見慄然寒からずして膚粟を生ず」。にもかかわらず「支那人毫も之を怪しまず、平視調笑して過ぐ」。

 それしても「糞便堆裡に平坐し」、「糞中に横臥し血を吐く數升、呼吸将さに絶えなんとして未だ絶えず」して「錢を乞ふ」とは、凄まじい限りの情景である。想像してみるだけで、尾崎ならずとも「一見慄然寒からずして膚粟を生ず」る。だが、街角の惨状を「毫も之を怪しまず、平視調笑して過ぐ」という。ということは、そういう振る舞いは「支那人」の豪胆に拠るのか、無慈悲・無関心からなされるのか。それとも、余りにも日常的な風景だからなのか。おそらくは余りにも見慣れた風景であればこそ、なんだろうな。《QED》

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2015年07月05日

【知道中国 1255回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎12)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1255回】              一五・六・廿

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎12)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 淡水防衛のために戦略的に基隆を一時放棄した、とか。いや放棄ではない。フランス軍の攻撃を前に怖気づいた司令官が基隆を捨てて敵前逃亡して淡水に逃げ込んだ、とか。台北を挟んで台湾海峡側の淡水と太平洋岸の基隆――台湾北部の2大要衝の攻防を巡って、台湾の戦況に関する報道は二転三転する。諸般の情勢を繋ぎ合わせて考えれば、どうにも清国側の報道は間尺に合わない。そこで尾崎は、「清人の其過を文る巧みならざるに非ずと雖も淺薄凡そ此の如し、眞に笑ふ可き哉」とした。ともかくも中国人は自分の過ちを誤魔化し粉飾すのが巧みといえば巧みといえるが、どうも底の割れた言い訳が過ぎる。全く以て処置ナシだ――といいたかったのだろう。

 当時、上海の株式市場は古今未曾有の激変を示し、株主たちの心は揺れに揺れていた。確かに「上下貧富各級の辛苦に憐む可き者」はある。だが、「支那人の頑鈍なる此大變に遇ふも、誠心誠意以て其由來する所を探求せず、妄に之を佛人の來寇に歸す」。そこで尾崎は「嗚呼亦愚矣」と、またまた苦笑する。経済はミズモノだ。景気がいい時もあれば悪い時もある。にもかかわらず、中国人は景気変動の真因を真摯に極めようとするわけでもなく、すべての原因はフランス軍が侵攻してきたからだ、と思い込んでしまう。であればこそ「嗚呼亦愚矣」となるわけだが、尾崎にしてみたら、少しは頭を働かせてみたらどうだい、とでも茶化してみたかっただろうに。

 ある日、街角で「支那人の爭闘する者あるを見る」。ともかくも互いに相手を大声で罵倒する勢いは凄まじいが、激しく殴り合うわけでもない。弱そうな方には連れがいるが、手助けするわけでもなくボケーッと事の成り行きを眺めているだけ。やがて強そうな方が一方的に殴りつけはじめる。すると片方は大声で泣き出し喚き散らす。そこで弱い方の友人が「強者の袖を控へて、其宥恕を請ひ、遂に弱者を携へて去る」。つまりは尻尾を巻いて退散したというわけだ。

 なぜ連れの仲間が加勢して2人で立ち向かわないのかと、尾崎は「久しく清國に在て其民情を詳かにせる某氏」に問い質した。すると「支那人の薄情にして且團結力なき滔々皆然り、足下獨り[中略]其友人の毆打せらるゝに遇うて袖手傍觀せるを怪しむ勿れと」との答が返って来た。そこで尾崎は、「余聞て人心の頽廢既に此に至れるを嘆ず。四億の人民を以て常に歐人の凌辱する所と爲り、甞て之を報復する能はざるも、亦宜なる哉」と。

――中国人は自分の事しか考えない。団結とは程遠い。誰もがそうだ。仲間が目の前で殴らようが、我が身に関わらないから隣で腕組みして眺めているだけだ。このように人心の頽廃は極まっている。だからこそヨーロッパ人に凌辱され続けているものの、四億の人民は報復できない。それもまた仕方のないことだ――

 某日、台湾戦況視察の後に上海に入港した日本海軍の天城艦を訪ね現地情勢を聞き取る。基隆はフランス軍が制圧し、淡水では「兩軍の形勢靜隱無事にして、傍觀者の欠伸を招くに似たり」といった情況らしい。だが上海の新聞は連日、「基隆を回復したる」とか、「佛軍大敗して基隆を去れる」とか報じている。さすがに尾崎は信じていないが、新聞が現地電に拠るとしているからには、「全く無根の妄説とせず、多少の根跡ある者と認定」していたが、「何ぞ圖らん是全然無根の構造説ならんとは」と。やっぱりウソだった。

 じつは楊やら李と台湾防衛の責任者ら名を挙げ、彼らの弁として報じていたから、「余の平生支那人の言行を疑ふこと深きも、之を以て全く無根の構造説と爲す能はざりし所以也」。なんと尾崎もいっぱい喰わされてしまった。そこで「知らず諸将の姓名及び楊李の二官吏も亦報道者の想像に成れる構造物なる乎」と。やはり虚言と妄言は無限。《QED》

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2015年07月01日

【知道中国 1254回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎11)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1254回             一五・六・仲八

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎11)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 先ずは万古不易の性懲りもない賄賂帝国といったところだが、ワイロ問題に突き当たるたびに思い出されるのは林語堂の『中国=文化と思想』(講談社学術文庫 1999年)の次の一節だ。
 「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち、『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」

 だとするなら、習近平政権が推し進める腐敗摘発で「虎」の一匹として仕留められ、北京の約30キロ北方に位置する「最神秘的監獄」である秦城監獄にブチ込まれた周永康は、裁判の際、はたして「私は中国では古来続く役人の伝統を順守し、『規則動詞』に従って行動しただけだ」と抗弁しただろうか。それとも判決を聞きながら心の中で「私は賄賂と取る。習近平は賄賂を取る。李鵬は賄賂を取る。私たち旧指導部は賄賂を取る。あなたたち現指導部は賄賂を取る。共産党幹部は賄賂を取る」とでも唱えただろうか。いずれにせよ、共産党もまた歴代王朝から国民党政権まで続く官場伝統文化をしっかりと引き継ぎ、「中国語文法における最も一般的な動詞活用」を忠実に守っているものだ。少なくとも賄賂文化に関する限り、「旧」も「新」も中国であることに大差はないということだ。ッったくもう、どうしようもないなア。

 閑話休題。

 某日、アメリカ租界を散策した際、尾崎は「一清人の電柱に廣告文を貼附して、巡査の爲めに捕らへらるゝを見る」。男が弁髪を掴まれて巡査に引き立てられて行く様を、「其法甚だ便なり」と。それはそうだ。弁髪というものは頭の天辺からぶら下がっているわけだから、それを掴まえられたら身の自由は効かなくなる。確かに、「其法甚だ便」ではある。

 見てみると、どの電柱にも「奉旨設立、毋許損壞(お上の設置による、損壊する勿れ)」と張り紙があり、数本おきに「毋許招貼、如違送捕(張り紙する勿れ、違えたら逮捕する)」とある。このように規則を明示しない前は、なにやらかやら広告の類が隙間なく電柱に張られていた。それだけではない、往々にして電線を蛮族の汚らわしい機具と見做し、破壊した者も珍しくなかったとか。そこで、こういった注意書きを張り出すこととなるや、「無智の頑民も毎柱皆な奉旨設立の文字あるを見て、始て朝旨の所以を知り、復た之を損壞する者なしと」。

 かくして尾崎は「其頑愚笑ふ可しとあるは、従順實に愛す可し」といいつつ、「苟も強鞏の政府あり公正の法を以て之を統御せば、支那人決して治め難きの民に非ざる也」と。つまり確固とした政権基盤も持った政府が断固たる法治を厳正に行えば、「支那人決して治め難きの民」ではないということ。だが、往古から現在に至るまで(おそらくこれからも)、その厳正な法治が不可能だからこそ、中国人は「治め難きの民」なのだ。かの毛沢東をしてもムリだった。全く以てムリだった。もっとも毛沢東の治政は、法治の極致としての徹底した人治ではあったが。どう考えても、法治より人治という思考・行動様式が民族のDNAに組み込まれているとしか考えられない。

 この日、或る新聞が清国軍のヴェトナム(トンキン)や淡水(台湾)での敗戦を伝えれば、ある新聞は「佛軍淡水に上陸して、清兵の爲に激?せられ、敗れて兵船に還れるの情形を詳記」していた。「在淡水通信者に拠ると云ふ」と続けているところをみると、「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」といったところ。マユツバですね。《QED》

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