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2015年07月05日

【知道中国 1255回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎12)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1255回】              一五・六・廿

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎12)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 淡水防衛のために戦略的に基隆を一時放棄した、とか。いや放棄ではない。フランス軍の攻撃を前に怖気づいた司令官が基隆を捨てて敵前逃亡して淡水に逃げ込んだ、とか。台北を挟んで台湾海峡側の淡水と太平洋岸の基隆――台湾北部の2大要衝の攻防を巡って、台湾の戦況に関する報道は二転三転する。諸般の情勢を繋ぎ合わせて考えれば、どうにも清国側の報道は間尺に合わない。そこで尾崎は、「清人の其過を文る巧みならざるに非ずと雖も淺薄凡そ此の如し、眞に笑ふ可き哉」とした。ともかくも中国人は自分の過ちを誤魔化し粉飾すのが巧みといえば巧みといえるが、どうも底の割れた言い訳が過ぎる。全く以て処置ナシだ――といいたかったのだろう。

 当時、上海の株式市場は古今未曾有の激変を示し、株主たちの心は揺れに揺れていた。確かに「上下貧富各級の辛苦に憐む可き者」はある。だが、「支那人の頑鈍なる此大變に遇ふも、誠心誠意以て其由來する所を探求せず、妄に之を佛人の來寇に歸す」。そこで尾崎は「嗚呼亦愚矣」と、またまた苦笑する。経済はミズモノだ。景気がいい時もあれば悪い時もある。にもかかわらず、中国人は景気変動の真因を真摯に極めようとするわけでもなく、すべての原因はフランス軍が侵攻してきたからだ、と思い込んでしまう。であればこそ「嗚呼亦愚矣」となるわけだが、尾崎にしてみたら、少しは頭を働かせてみたらどうだい、とでも茶化してみたかっただろうに。

 ある日、街角で「支那人の爭闘する者あるを見る」。ともかくも互いに相手を大声で罵倒する勢いは凄まじいが、激しく殴り合うわけでもない。弱そうな方には連れがいるが、手助けするわけでもなくボケーッと事の成り行きを眺めているだけ。やがて強そうな方が一方的に殴りつけはじめる。すると片方は大声で泣き出し喚き散らす。そこで弱い方の友人が「強者の袖を控へて、其宥恕を請ひ、遂に弱者を携へて去る」。つまりは尻尾を巻いて退散したというわけだ。

 なぜ連れの仲間が加勢して2人で立ち向かわないのかと、尾崎は「久しく清國に在て其民情を詳かにせる某氏」に問い質した。すると「支那人の薄情にして且團結力なき滔々皆然り、足下獨り[中略]其友人の毆打せらるゝに遇うて袖手傍觀せるを怪しむ勿れと」との答が返って来た。そこで尾崎は、「余聞て人心の頽廢既に此に至れるを嘆ず。四億の人民を以て常に歐人の凌辱する所と爲り、甞て之を報復する能はざるも、亦宜なる哉」と。

――中国人は自分の事しか考えない。団結とは程遠い。誰もがそうだ。仲間が目の前で殴らようが、我が身に関わらないから隣で腕組みして眺めているだけだ。このように人心の頽廃は極まっている。だからこそヨーロッパ人に凌辱され続けているものの、四億の人民は報復できない。それもまた仕方のないことだ――

 某日、台湾戦況視察の後に上海に入港した日本海軍の天城艦を訪ね現地情勢を聞き取る。基隆はフランス軍が制圧し、淡水では「兩軍の形勢靜隱無事にして、傍觀者の欠伸を招くに似たり」といった情況らしい。だが上海の新聞は連日、「基隆を回復したる」とか、「佛軍大敗して基隆を去れる」とか報じている。さすがに尾崎は信じていないが、新聞が現地電に拠るとしているからには、「全く無根の妄説とせず、多少の根跡ある者と認定」していたが、「何ぞ圖らん是全然無根の構造説ならんとは」と。やっぱりウソだった。

 じつは楊やら李と台湾防衛の責任者ら名を挙げ、彼らの弁として報じていたから、「余の平生支那人の言行を疑ふこと深きも、之を以て全く無根の構造説と爲す能はざりし所以也」。なんと尾崎もいっぱい喰わされてしまった。そこで「知らず諸将の姓名及び楊李の二官吏も亦報道者の想像に成れる構造物なる乎」と。やはり虚言と妄言は無限。《QED》

posted by 渡邊 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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