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2015年08月05日

【知道中国 1264回】 「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡5)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1264回】           一五・七・初八

 ――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡5)
 岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 6月19日に役所から蘇州・杭州を経て寧波に至る旅の護照(パスポート)をえた岡は、21日に最初の訪問地である蘇州に向けた船旅にでた。

 川岸に「巡電房」の3文字を掲げた建物が目に付いた。当局が新設した送電設備で、巡邏を置いて警戒しているとのこと。船頭の話では、電柱に牛を繋ぐものがあり、巡邏が取り締まっているが、「百金」の賄賂で罪を見逃してもらえるとのこと。例の「上に政策あれば、下に対策あり」ということだろう。それにしても「百金」は誰の懐に納まるのか。

23、24日と岸に上がって市街を散策するが、岡は十重二十重に囲まれた。やはり岡の着る「異服」が珍しいようだ。「異服」というから和服だろうが、おそらく彼らは口々に、「アイヤー、あれ、何の服のあるのことか」とか、「日本人、オカシナ服のことあるね〜」などと無駄口を叩きながら、岡の後を追いかけたに違いない。さすがの岡も早々と船に引き上げている。また別の街では、「街衢(まちなみ)は太(はなは)だ隘(せま)くして、丐徒(こじき)の客を尾(お)い、穢臭の鼻を衝くこと厭う可し」と。狭く汚い通りで、鼻がヒン曲がりそうな悪臭を発しながらの物乞いである。彼らに付き纏われたら堪ったものではない。匆々に退散するのがイチバン。やはり三十六計逃げるに如かず、である。

 そうそう乞食についての思い出を、1つ2つ。これも香港留学時代。

その1。京劇の“研究”に入れあげた結果、生活費を切り詰めざるを得なかった。そこで食費を大幅にカット。当然のように体は痩せ細る。尤も痩せた時は175cmで40数キロ。激ヤセである。毎週1回、香港島と九龍の間を往復するフェリーを利用していたが、もちろん料金の安い方の席だ。木製の長椅子に他の乗客と一緒に並んで座る。フェリーが動き出して暫くすると、乞食が立ち上がってギーコーギーコーと手作りの胡弓を拉きはじめた。“一曲”が終わると、彼はブリキの蓋を逆さまに持ち、客の間を歩き出す。“演奏料”を求めるのだ。1人、また1人とゼニをもらいながら、こっちにやって来る。来たってやるものか。だいいち、こちらには乞食に恵んでやるほどの余裕はないと思って身構えていると、やおら彼は私を飛び越して隣の客の鼻先にブリキの蓋を差し出していた。

 その場の顛末を話すと、友人は乞食から商売仲間だと思われたんだ、と。その後、フェリーで彼の演奏を無料で愉しむ“特権”を享受し続けたのだが。嬉しいやら悲しいやら。

その2。南方とはいえ冬の香港は寒い。いや、結構寒い。ある時、パンツ1枚の乞食と知り合った。だが寒い。とにかく寒い。パンツ一枚で凌げる寒さではない。そこで彼は走る。体を温めるには走るしかない。チョークを使って見事な筆跡で自らの人生を歩道に記し、その隣に小さなバケツを置いて通行人に“浄財”を求める。時に奇特な歩行者が彼の人生行路に同情しバケツにカネを落とそうとするのだが、なにせ彼は走り回っているので、“定位置”に不在である。そこで歩行者は一度出した財布を引っ込めて立ち去ってしまう。かくして彼のバケツに“浄財”が投じられることは稀だ。とはいうものの、バケツから少しはなれた場所で一部始終を観察していたわけだから、同類と見做されても致し方はない。奇特といえば奇特が過ぎるが、思い起こせば有り余るヒマを潰すには最高の一刻だった。

閑話休題。

26日、蘇州で友人らと歓談の機を得た。参集する者は4人ほど。「余、華語を解さ」ないゆえに、傍らで手持無沙汰に坐っているしかない。どうやら彼らは、椅子を使わずに直に床に坐り、食事をするのに机はなく、寝るのにベットがなく、上下が繋がった服を着て、婦人の歯は鉄漿で真っ黒で、広い帯で腰をキッと締めている――と日本の風俗を論い、外国人には理解できないと首を傾げているらしい。そこで岡が反論を記すことになる。《QED》
posted by 渡邊 at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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