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2015年08月19日

【知道中国 1267回】 「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡8)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1267回】         一五・七・仲四

 ――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡8)
 岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 ――いいかい、「中土」が西洋人を「豺狼」として遇するから、彼らは敢えて「豺狼」になって「中土」に対するのだ。かりに「中土」が「堯舜の心事」を以て彼らに臨めば、彼らだって誠意を持って応ずるに違いない。林則徐は「愚民」にアヘン吸引を止めるよう諭したが、実効は挙がらなかった。そこで卒然と決起しイギリスに戦いを挑み、烟膏(アヘン玉)の奪取に成功した。だが、それは一時の憤激を鎮静化させることでしかなかっただろう。思い起こすなら、「堯舜は内に文ヘを修め、外に武衛を奮う」ことに努めた。これを無意味で粗野な振る舞いというのか。数10枚の紙に書き連ねて懇切丁寧に説いたが、終に彼が納得することはなかった――

 「竟に服せず」と記しているところを見ると、どうやら友人は相当に堅い信念、いや堅いアタマの持ち主だったようだ。かくて岡は友人を、「奇氣有り。文筆縦にして實に得難き才を爲す。而るに言、外事に及ばば、頑然として迷を執る。一に此の極みに至る。殆ど解す可からざる者」――あれだけの才に恵まれた人材は実に得難い。だが、一たび外国のこととなると頑迷固陋に凝り固まってしまい、そこから脱することが出来ない。なんとも惜しく、また理解できないことだ――と評し、論争を締め括っている。

 それにしても、である。中国語の会話ができない自称する岡であるから、これだけの白熱した論争は筆談で交わされたわけだが、互いに言いも言ったり聴くも聴いたり――いや、正確には「書くも書いたり読むも読んだり」といったところだが、卑屈になるわけでも尊大に構えるわけでもなく、これだけ正直で全うな議論を交わすことができた時代は、ある面では両民族の歴史にとって幸運な時代だったともいるだろう。

 この白熱論争の数日前に当る7月20日、岡は、周囲が「高二三丈」の石塀で厳重に防護されている士大夫の邸宅を訪れ、その家庭の姿から、アヘンと科挙の関係を考察している。

――その家では、雨水でないとお茶から香華が立ち昇らないというので大きな水甕を幾つも用意し、雨水を貯めている。贅を尽くした家具調度の屋敷には大所帯の一族が住み、一切の作業や畑仕事は「隷氓」に任せ、一族は労働ということをしない。息子が8,9歳になると家庭教師を雇い勉強を始める。とはいうものの生活の心配がないから、やはり「驕奢」に流れてしまいがちだ。そのうちの優秀な者は、科挙試験合格を目指して無味乾燥で無意味極まりない形式ばった文章術に心を砕き、やがて精神を消耗させてしまう。

 何度受験しても科挙試験の難関を突破することができないとなると、「不平(ストレス)を酒色に漏らし頽然(ふぬけ)となり自ら放(ゆる)み、心を世事に役(くだ)かず、猖狂を達(さとり)と爲(な)し、放誕を豪(つわもの)と爲し、妄庸を賢(かしこし)と爲し、迂疎を高(すぐれもの)と爲す。或は洋烟に溺れ資産を蕩(つかいつく)し、子女を賣り、性命を縮めるに至るも自ら悔(かえりみ)ず。余、此こに來たりて月を累(かさ)ね、ほぼ中土の病原を得たり。此こに附記す」――

 上海到着から1月半ほどだ。この間の観察で岡は「中土の病原」を発見したというのだ。ならば「中土の病原」とは、果して資産を蕩尽するほどの贅沢な生活なのか。精神に異常をきあすほどに難関だったといわれる科挙制度だろうか。身も心もボロボロになり果て廃人と化してしまう洋烟なのか。自堕落で身勝手極まりない生き様だというのか。いずれにせよ、それらすべてが相互に絡み合い互いに負の連鎖反応・相乗効果を挙げながら、人間を生き地獄に引きずり込んでしまう。「中土の病原」とは、これに違いなし。

 岡の発見から百数十年。「中土の病原」は、共産党独裁という培養器の中でゼニと利権を餌に細胞分裂を繰り返し、狡賢・強靭さを増しつつあるように思えるのだ。《QED》
posted by 渡邊 at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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