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2015年11月14日

【知道中国 1322回】 「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡63)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1322回】        一五・十一・仲三

 ――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡63)
 岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)
 
 22日には広州市の布政署に龔少文を訪ねた。時候の挨拶が終わるのを待ちきれないかのように龔が、「目下、フランス対策の重要性が日に日に高まっている。ここは一つ中日両国が運命共同体として手を握ったらどうだろう」と問い掛ける。これに岡は、

――「僕」は一介の野人であり政府中枢の動向は判りかねる。振り返れば我が国は新たに欧米諸国と交流を始めたが、それは戦国の昔、強国の晋と楚の間でバランスを取って国を保った鄭のようなものだ。こういった我が国情を先ず理解すべきだろう。

 いまや「五洲(せかい)」の大局は一変してしまった。イギリスとフランスは富強を成し遂げ、遠方侵略に先を争っている。だが「中土は千年の舊俗を墨守し、域外の萬國の一切を擯斥し夷狄禽獸と爲す」。こういった情況では、とてもじゃないが現在の激変する大局には対処出来はしない。このままでは禍を転じて福となし、危を安に易ることなど出来ない相談だと知るべきだろう。

 「僕」は10年前にアメリカ・イギリス・フランスの歴史を著したが、思うにフランスの安南政策はイギリスのインドに対するそれを真似た。イギリスは早々とインドを併呑したが、フランスは敢えて安南を植民地化することはなかった。それというのも安南が「中土」の「冊封(ぞっこく)」であることを考慮したからだ。だが今やフランスは「中土」の「虚實(しょうたい)」を知ったがゆえに、猛然と一気に安南を押さえ、以前からの野望を成し遂げた、ということだ。

 今にして思えば、不幸なことに10年前の予言は的中した。いま拙著のフランス史を贈るので、どうか「大政」を進めてもらいたい。またペリー来航以来のアメリカの動静を記した『尊攘紀事』を貴国要路に閲覧賜わるなら、「東洋大勢」を考える一助になろうかと。

(広州の戸数が30万超だと知り)「五洲(せかい)」で最多人口は「中土」であり、「中土」で最多は広東。ということは人口でいうなら広東は世界最多ということになる。だが、その半分は無為徒食の「游手(プータロ―)」だ。無駄メシ喰らいが多いということは、その国にとっては不幸だ。恥じ入り悔やむだけではどうしようもない。(1月22日)――

 かりに当時の広東住民の半分が「游手」であったとしたら、中国の中で広東人だけにプータロ―が集中していることはないだろうから、中国全体でも半数近くが「游手」であったとも考えられる。となると、これはもうマトモではない。中国が諸外国蚕食の地になったとしても当たり前の話だ。そうであるにもかかわらず、「中土は千年の舊俗を墨守し、域外の萬國の一切を擯斥し夷狄禽獸と爲す」わけだから、「眠れる獅子」はおろか「眠れる痩せブタ」以下と評すべきだろう。

 岡の時代から150年余り。その「中土」はいまや世界第2位の経済大国(公称、自称、尊称、詐称?)となり、いまやアメリカ猛追をはじめた。かくてケ小平の遺訓である「韜光養晦、有所作為(相手を誑かし油断させ利用し、やがて相手を追い越す)」のままに、いまやアメリカ猛追中(・・・そのうち息切れするだろうが)である。そうなればそうなったで漢族伝統の悪癖が頭を擡げ、役人(幹部)の不正という「千年の舊俗」が大復活。その一方で「域外の萬國の一切を擯斥し夷狄禽獸と爲す」わけだから、「病膏肓に入る」。

 かくして「たとえ共産主義政権が支配するような大激変が起ろうとも、社会的、没個性、厳格といった外観を持つ共産主義が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見分けのつかぬほどまでに変質させてしまうことだろう。そうなることは間違いない」(林語堂『中国=文化と思想』)と。う〜ん、確かに「そうなることは間違いな」かった。《QED》

posted by 渡邊 at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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