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2015年11月22日

【知道中国 1325回】 「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡66)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1325回】        一五・十一・念一

 ――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡66)
 岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)
  
 さて岡に戻ると、25日は雨の中を広州の名勝を廻り、中国人の友人2人と3人で筆談となる。そこで岡が「『中土』の街では、古来、かくも道路は狭隘かな」と問うと、「唐宋代以後、都市制度が崩壊してしまい、現在に至っているわけです」と。そこで岡は、

――その昔、イギリスの首都は道幅が狭く風通しは劣悪で、疫病が流行し、市民全滅の危機的情況に陥ったことがある。かくして都市制度を一変さて生まれたのが現在のロンドンだ。(1月25日)――

 すると相手は「お説の如く市街地では疫病が多いので制度を一変せざるを得ないことはもちろんですが、これまで官民が慣れ親しんできた『慣習』が日常化している訳でして」と言い返す。岡に拠れば、この人物は「俊才」で時局を論じることを好む。舌鋒鋭く反論してくるが、どうにも外国事情に全く疎い。そこで、全体情況の中で自分の立位置が正確に捉えられない。そういった欠陥も踏まえてウソ偽りなく返答すると、いよいよ激昂する始末。だが、岡は率直に綴った。

――『大学』の一書は己を修め、人を治める道を説き尽くしている。己を修めることを論じて「格致」といい「誠正」という。人を治めることを論じて民を新たにするといい、「新民」を作るといい、日々新たにという。とにもかくにも数多の「新」の文字が並べられているが、そもそも「中人」は「格致の學」の神髄を語らずして、ただ後生大事に旧習を守っているだけだ。なぜ、そうなのか。皆目判らない。(1月25日)――

 ここまで語ると、さすがの相手も口を噤んでしまう。岡は続けた。

 ――そもそも「中人」は経書の字面だけを丸暗記し、無意味に論争を重ね、意気込んで相手を論駁するために、経書の中から抜き出した1つ、2つの片言隻語を自分勝手に解釈し、相手を強引に論破しようと試みる。やはり非生産的である妄執を敢えて押し止め、相手を責める思いを腹に納め込み、自らを客観的に見つめ直すことの大切さを深く知るべきだろうに。(1月25日)――

 さすがに岡である。「経書のなか抜き出した1つ、2つの片言隻語を自分勝手に解釈し」との指摘は、正鵠をえているといわざるをえない。

そこで文革時の無数の悲喜劇に思い至る。

 たとえば一時は毛沢東の後継者に正式に認定された林彪である。彼がモンゴル領内で墜落死(?)した後の家宅捜索で書斎から自筆と思しき「克己」の2文字が発見されたとされ、「克己」の2文字は「復礼」に通じ、「復礼」とは儒教が唱える封建道徳である「礼」の復興を願っている。ゆえに林彪は中国人民にとって最大の敵である孔子の信奉者である。そこで「偉大的領袖毛主席」に反逆を試みた。だからブザマな最期を遂げたとしても、それは当然の報いだ、となる。ここまできたら、もうマンガとしかいいようはない。

 映画監督の陳凱歌が「恐怖を前提にした愚かな大衆運動だった」と断罪する文革の初期、紅衛兵として「造反有理」を掲げて暴れ回った張承志は当時の闘争振りを振り返って、「神通力をもつ宝刀は毛沢東の言葉――『毛主席語録』だった。素早く毛主席語録を引用したものが論戦で優位に立った。これが文革初期の中国人民すべての基本的な政治スタイルだった」「ひょっとすると屁理屈をこねて横車を押し通そうとしたのかもしれない」「毛沢東語録に頼る当時の屁理屈や横車にも、権勢によって人をやっつけようという傾向が確かに存在していた」(『紅衛兵の時代』岩波新書 1992年)と自嘲気味に記している。

 そして現在、習近平政権も「屁理屈をこねて横車を押し通そうと」している。彼らの振る舞いの基本が“こじつけ”と“いいがかり”であることを、肝に銘じておきたい。《QED》
posted by 渡邊 at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国

【知道中国 1325回】 「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡66)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1325回】         一五・十一・仲九

 ――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡66)
 岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)
  
 背後から覗き見ると、兄貴は首筋にも汗を光らせていた。緊張感の極と言ったところか。しばらくすると舎弟の1人に二言三言呟いた後、彼は席を立つ。それとなく後をついて行くと厠所(トイレ)へ。鏡に映る自分の姿を眺め、顔を洗う。緊張感をほぐして、気分一新で鉄火場に臨もうというのだろう。一足先に戻ってみると、隣の有閑マダムは仲間と思しきド派手な衣裳の厚化粧と、バカ話をしながら平然と勝負をこなしている。

 マカオのカジノで見た一瞬の光景から、日中両民族の比較などと言った大仰なことを引き出そうなどとは思はない。だが、博打・賭博を前にした日本の兄貴と香港の有閑マダムの振る舞いの違いは、余りにも対照的であり印象的だった。

 一般に日本人は射幸心に身を任せることを好ましいことだとは思わないだろう。つまりリスクを取ることは不得手ということ。ところが彼らは、その反対。リスクを取ることを厭わない。いや過激なまでに積極的といっておこう。蔣介石に賭け大損し、次いで毛沢東に張って手痛いしっぺ返しを喰らい、最後の最後にケ小平に縋ったところがドンピシャの大当たりで予想外の大儲け――これが現代中国の歩みではないか。羹に懲りて膾を徹底的に吹くのが日本人なら、羹なんぞに全く懲りずに次も貪欲に羹を頬張るのが中国人だろう。

 1999年12月。そのマカオは2年前の香港に引き続き、中国に返還され中華人民共和国澳門特別行政区へと衣替えした。

 帝国主義の亡霊のようなマカオから社会主義の“人民共和国”に「回帰」したのだから、てっきりカジノは全廃と思いきや、カネ稼ぎに関していうなら共産党政権は超強欲。いわば弱肉強食の超野蛮資本主義、いや有態にいうならヤッチャ場の化け物だった。

 経営権を大々的に売り出すや、香港やらマカオの阿漕な金持ちが先を競ってカジノ・ビジネスに参入する。かくて巨大カジノを併設、いや超豪華な巨大ホテルを併設する巨大カジノが次々に生まれ、規模・取引額・客数のなにもかもが瞬く間にラスベガスを追い抜いてしまった。カジノ都市マカオの大発展だ。もちろん客はケ小平に張った金満中国人。今風に表現するなら“爆買い”ならぬ“爆張り”である。

 そんなある日、香港からマカオへ出かけてみた。留学生当時には高値の花だった水中翼船に乗って周囲を見渡すと、なんともシミッタレた風の客ばかり。これでは昔の薄暗い夜行船三等船室じゃないか。それもそのはずである。金持ち客は個人用超豪華ヘリコプターでアッという間にマカオの超豪華ホテル付設のカジノ、それも超VIP用個室カジノへとゴ案内〜ッという寸法だ。
 マカオに近づく。かつてはマカオのシンボルだった高層のリスボア・ホテルは、林立する超巨大ホテルや超豪華タワー・マンションの中に埋もれ惨めな姿を曝している。埠頭に一番近いカジノへ。体育館のように大規模なカジノの真正面に大きく「娯楽場」の3文字が。カジノではない。彼らにとっては飽くまでも娯楽場なのだ。巨大なドームに足を踏み入れると、無数のテーブルを前に、現金やらチップを握りしめた老若男女――ほとんどが中国からの――が躍動している。彼らの挙げる歓声がグワーンと丸天井に反響し、賭け事が醸し出す一種の“うしろめたさ”などは微塵も感じられない。まさに娯楽場、いや娯楽場としか形容しようのない、やけに生き生きとして明るい巨大空間だった。あるいは林語堂の顰に倣うなら、彼ら民族にとっては賭博もまた一種の暇潰しなのだろう。

 今夏の上海で株価が乱高下するや、「股民」と呼ばれる零細個人株主が多い中国の株式市場は不健全で未成熟との声が聞かれた。だが、そんな“マトモな批判”が超巨大カジノに狂奔する股民に、ましてや胴元の共産党政権に通じるわけがないだろうに。《QED》
posted by 渡邊 at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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