
【知道中国 1351回】 一六・一・仲三
「街路湫隘ニシテ塵穢坌集到ル處皆然ラサルハナシ」(黒田5)
K田清隆『漫游見聞録』(明治十八年)
風水の理論から割り出して選ばれるのは善地だけではない。その日に埋葬すれば一族繁栄・子孫安泰間違いなし、というわけだ。
ここで参考までに、我が体験を些か。バンコクで30年数年来の付き合いになる友人の2代目華僑の親族に、当時のタイで10本の指に入る資産家がいた。もちろん、彼も華僑の2代目である。父親が亡くなり盛大な葬儀も済ませ埋葬の段になった段階で、香港から招請した風水師から「その日に埋葬したら遺族は仲違いし。営々と築いた資産は雲散霧消しかねない。一族の将来を考えるなら、1年後の某吉日に埋葬せよ」とのゴ託宣。一族に異存はない。1年後の指定された日まで埋葬を延期したのだが、棺はどうなったか。バンコク都内の名刹境内にガラス張りでエアコン付きの建物を建て1年間安置した後、埋葬した次第だ。
そこで後日談だが、1997年の香港返還翌日に発生したタイを震源とする「アジア危機」に直撃され、一族も大打撃を受けてしまった。さすがに香港の著名な風水師もアジア危機までは想定できなかった・・・らしい。
墓が終われば、次の話題はアヘンだ。やや長文でもあるので、少しく区切って引用し話を進めることにする。
「清人ノ鴉片ヲ嗜ム實ニ甚シク各地此毒ニ染マサルハナシ到ル處烟館ナル者アリ烟膏ヲ賣テ人ノ來タリ吸フニ供ス茶樓酒館必ス吸烟ノ室ヲ設ケ之ヲ以テ日用少ク可ラサルノ要具トナス者ノ如シ」
当時、アヘン吸引のための施設が全国各地に設けられていたということ。「日用少ク可ラサルノ要具」の「少ク」は「欠く」と読むべきだろうが(あるいは誤植?)、アヘン吸引のために「日用少ク可ラサルノ要具」は烟館、茶樓酒館の他にランプ、キセルもあった。清朝政府は、これら「日用少ク可ラサルノ要具」の全てに税金を掛けていたのである。だからアヘン吸引者が増えれば増えるほどに税収は上る仕組みになっていたわけだが、さすがにアヘン吸引嗜好者の蔓延に危機感を抱いたのであろう。清朝政府は拱手傍観を改め内禁策と外禁策の異なったアヘン禁止政策を打ち出すこととなった。だが結果としてアヘン戦争を招き、亡国の瀬戸際と言う最悪の事態を招いたわけだから、やはり無為無策に等しい。
国内でのアヘン流通から「日用少ク可ラサルノ要具」までをも禁じたのが内禁策で、アヘンそのものの輸入を禁じたのが外禁策。だが“上に政策あれば下に対策あり”のお国柄である。内禁策を励行すれば密輸入が増加し、外禁策を実施すれば国内での罌粟の秘密栽培が増加する。イタチごっこで実効なし。
当然のように国力も民力も共に衰えてしまい、社会は機能不全に陥ってしまう。そこで「憂國ノ士時ニ禁烟ノ説ヲ爲ス者アリト雖モ涓滴ノ水燎原ノ?ニ敵スル能ハス」ということになる。つまり実効が挙がらないばかりか、却って排斥されてしまう。それというのも「之ヲ嗜ム者獨リ無知ノ人民ノミナラス士人ノ道理ヲ解シ其酖毒ナルヲ知ル者ト雖モ一タヒ此中ニ沈溺スレハ籍テ以テ鬱ヲ散シ悶ヲ破ルノ具トナ」すからであり、「覺ヘス性命ヲ害シ財産ヲ破ルニ至ル」ことになる。
アヘンは「印度ヨリ來ル者既ニ輸入物品ノ大宗タリ聞ク近年其内地山西四川等ノ諸省ニ種植製造スルノ額亦巨多ナリト全國都テ毒烟ニ薫染セリト謂フモ過言ニ非ルナリ」という惨状を呈することとなるわけだ。
じつは清朝政府は内禁策と外禁策を交互に実施してみたものの、いずれも期待したほどの効果は挙げられなかった。なにせ「道理ヲ解シ其酖毒ナルヲ知ル者ト雖モ」であり、であればこその「全國都テ毒烟ニ薫染セリト謂」う情況に陥ってしまったわけだから。《QED》