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2015年06月26日

【知道中国 1252回】 「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎9)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1252回】            一五・六・仲四

 ――「清人の己が過を文飾するに巧みなる、實に驚く可き也」(尾崎9)
 尾崎行雄『遊清記』(『尾崎行雄全集』平凡社 大正十五年)

 じつは台湾防備の責任者の一人である劉銘伝は、かつてフランス軍が基隆を砲撃するや、計略を用いてフランス軍を必敗の地に誘い込んで「斬獲する所ありたり」と北京にニセ報告を送って「恩賞を得」た。加えて今回は基隆にフランス兵を招き入れ、相手のスキを衝いて「數百名を截殺したり」と、またまた虚偽報告らしい。さすがに北京政府は誤魔化せても、基隆の住民は騙せなかった。かくして「基隆の民劉銘傳の毫も防戰する所なく、佛艦の砲撃を聞て、直ちに走れるを憤り、蜂起して之を殺さんとしたるの報」に接した尾崎は、「此説却て信據す可きに似たり」と記した。

 先に立つ者が怯懦と詐称、卑怯とウソ八百では、戦争に勝てるわけがない。

 某日、またまた温州暴民の詳報に接した。尾崎は、これまで得た情報から暴民の背景を次のように推測する。

 「今暴擧の原由を尋ぬるに、[中略]佛國の和破れ政府頻に戰備を整へ。又地方官諸種の諭告を發し、民心を激勵せるより、無智の小民俄に外人を惡むの情意を動かし、事あらば直ちに起て外人を苦め、其財貨を掠めんと欲するの際、恰も好し小童一夜宣ヘ師を妨げ、聽講者の抑留する所となる。是に於て行路の人群を結んで、講堂を襲ひ、轉じて諸方の耶蘇ヘ院と、宣ヘ師の私館とに向て、時に馳て暴徒に與みする者漸く増加し、終に火を四方に放て、外人の館宅を焼き、其の財貨を掠奪するに到れり。嗚呼亦暴矣」

 ――フランスとの和議は叶わず、政府は軍備を整える。地方政府の煽動で、無智蒙昧な民衆は外国人嫌いに奔り、機会をみつけては彼らを苦しめ財産を掠奪しようとする。某夜、宣教師を妨害した子供の身柄を信徒が押さえたところ、道行く烏合の衆が騒ぎだし、徒党を組んで教会講堂を襲撃したうえに、各地の教会やら宣教師宅に向った。暴徒に与する者が道々に膨らみ、遂には各所に火を放ち、外人の家を焼き討ちし、財産を掠奪するに至った――

 かくて「嗚呼亦暴矣」と嘆くことになるが、南方の汕頭でも同じような宣教師襲撃事件が発生したことを知った尾崎は、こういう「暴擧を再演」しないようにすることが、「豈に啻だ外人の幸福のみならんや、實に清廷の幸福也」と。まあ、こんな愚挙を繰り返すことがないようにすることが、中国在住の「外人の幸福」に繋がるだけでなく、じつは「清廷の幸福」なんだと。
 これを数年前の反日運動に移し替えて考えてみれば、中央・地方を問わずに当局が「民心を激勵せるより、無智の小民」が反日運動に狂奔し、挙句の果てには「時に馳て暴徒に與みする者漸く増加し、終に火を四方に放て」、日系企業や日本食レストランを襲撃し、勢いに任せて「其の財貨を掠奪するに到れり」という事態が発生したに違いない。全く以て「嗚呼亦暴矣」ではあるが、こういった政府が指嗾する蛮行・愚行の繰り返しは、最終的には中国の「幸福」にならないということだろう。それしても、尾崎の時代から1世紀ほどが経過してもなお「暴擧を再演」しているというお国柄だから、もはや処置ナシだ。

 某日、尾崎は宿舎でアヘン戦争から太平天国の頃までの歴史を振り返る。

思えば、かつても国家危急の時代だったが、曽国藩を筆頭に多くの重臣が私心を捨てて「畢生の能力を傾倒」し、国家のために尽くした。そこで「國家久しく寧静にして、人皆富貴の樂を受たるに至れば、各々私を計て公を忘るゝの傾斜なき能はず」。とはいえ清仏戦争に対し政府が「苟も當時の思想を懷抱し、屈せず撓まずして弊を矯め利を興すの事に從」ってさえいれば、清国もここまで無残な姿を露呈することはなかったろうに。尾崎は慨嘆は続く。

現在の中国もまた、「人皆富貴の樂を受たるに至れば、各々私を計て公を忘るゝの傾斜なき能はず」ではある。温州、汕頭に次いで蕪湖から「人民不隱の報」が届いた。《QED》

posted by 渡邊 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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