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2015年08月21日

【知道中国 1269回】 「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡10)

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 1269回】           一五・七・仲八

 ――「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡10)
 岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)

 「名言」に違いないが、それが一向に実行に移されない。そこが大問題だが、じつは「烟毒」と「六經毒」に加え、「貪毒」があったことに岡は気づいてはいなかった。

 来訪した友人に向って岡は、「烟毒と六經毒を一掃し中土の元氣を振うを以て説と爲」した。つまり清国再興に関する自論を語り掛けた。すると友人は、「更に一毒有り。貪毒と并わせ三毒と爲す。中土にては大小の政事、賄賂にて成る」と。

 やはり「中土」では政治の一切は賄賂によって左右される。ならば「貪毒」にも相当な毒が秘められているに違ない。そこで『中国=文化と思想』(林語堂 講談社学術文庫 1999年)の次の一節を再録、再々録、いや再々録(?!)しておきたい。

 「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用である。すなわち、『私は賄賂を取る。あなたは賄賂を取る。彼は賄賂を取る。私たちは賄賂を取る。あなたたちは賄賂を取る。彼らは賄賂を取る』であり、この動詞『賄賂を取る』は規則動詞である」

 ここで考える。規則動詞は「賄賂を取る」だけには限らないのではないか、と。「烟毒」も「六經毒」も同じく規則動詞といえるはずだ。林語堂の表現を借りるなら、私はアヘンを吸う。あなたはアヘンを吸う。彼はアヘンを吸う。私たちはアヘンを吸う。あなたたちはアヘンを吸う。彼らはアヘンを吸う――ということ。さらに続けると、私は六経を読む。あなたは六経を読む。彼は六経を読む。私たちは六経を読む。あなたたちは六経を読む。彼らは六経を読む――である。

 まさにドンピシャ。「中国語文法における最も一般的な動詞活用は、動詞『賄賂を取る』の活用」だけではなく、「アヘンを吸う」も「六経を読む」も「一般的な動詞活用」であり、「規則動詞」ということだ。もっとも六経の場合は知識層に限られるが。

 ここで現在に転じて「三毒」を考えるに、「貪毒」はもう説明の必要がないほど一般化している。数千億円やら1兆数千億円やら。共産党最高指導部経験者の天文学的な不正蓄財の前では、ロッキード疑惑に絡んだ田中角栄の5億円などガキの戯事。中国人に向っては恥ずかしくて口にできないほどの微々たる金額だ。まさに“爆買い”ならぬ“爆賄賂”だ。

 それはさておき、ならば「烟毒」と「六經毒」に相当するものはあるのだろうか。さしあたり思い浮かぶとすれば「烟毒」はカネ儲け、「六經毒」は共産党独裁下の権力に当たるように思われる。いわば金銭毒と権力毒とでもいっておこうか。今や中国人の五体は治癒不能なまでに金銭毒に毒され、社会は身動きのとれないほどに権力毒に麻痺してしまっている。加えるに「貪毒」である。極論が許されるなら、有史以来、彼らは金銭毒と権力毒と「貪毒」の「三毒」にドップリと漬かったまま日々を送って来たことになろうか。

 かく考えればこそ、再び林語堂に登場してもらうことにする。同じく『中国=文化と思想』だが、こんな記述もある。おっと、これも再々録か!?

 「大多数の中国人も自覚的信念からではなく、一種の民族的本能から依然として古いしきたりを墨守している。中華民族の伝統の力とはかくも強いものであり、中国人の基本的生活方式というものは永遠に存在し続けるように思える。たとえ共産主義が支配するような大激変が起ろうとも、社会的、没個性、厳格といった外観を持つ共産主義が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識といった古い伝統が共産主義を粉砕し、その名実を骨抜きにし共産主義と見分けのつかないほどまでに変質させてしまうことであろう。そうなることは間違いない」。う〜ん、マチガイナイ。

 中華民族×共産党=中国人の基本的生活方式である「三毒」万能の社会・・・噫。《QED》
posted by 渡邊 at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 知道中国
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