
【知道中国 1344回】 一六・一・初一
「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛涔涔」(岡85)
岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)
――「中土」では「士(やくにん)」を採用するに4つの方法がある。先ずは考試、つまり科挙。次は「蔭叙」で父祖の力によって官を授かる。「武功」は軍功によって選ばれることを指し、「捐納」はカネを寄付して官を授かることだ。この場合、官位の等級は寄付金の多寡によって定まる。太平天国が乱を起こした際、国庫が底を尽いていたことから、王朝政権が捐納という方法を考え出したのである。
考試は4つの選抜方法の中で最も栄誉があるがものの、合格基準は専ら「貼括八股(ぶんしょうけいしき)」の優劣であり、学んだことを実行するわけではなく、実際の情況を学ぶわけでもない。実務に優秀な者は合格せず、合格する者は役に立たない。これこそ「中土百代之弊」というものだ。
官吏には「實缺候補」があり、「實缺」は官職に就いても職務を行わない。「候補」は位階のみ与えられ職務に「補」せられる日を待つ。官吏の空席1つに数10人の「候補」が待機している。中には10年待っても官職に就けない場合もある。この他に「委員」というものもあって、「長官大僚」は「委員」を選任して職務を代行させるが、「候補」を選任する。「守牧(ちほうちょうかん)」は「幕友(なかま)」を採用し、上奏文・公式書類・訴訟・賦税・財政など、それぞれを任せる。極端な場合は、官位に就いていなくとも、陰で「知府知縣(ちほうちょうかん)」の権力を握っている者すらいるほど。
「百度廢弛。綱紀紊乱(なにからなにまでデタラメ)」で、あらゆる「名器(しゃくい・いかい)」は名前だけ。物事は大小に拘わらず全てが賄賂で決まる。彼らが最も嫌うのは旧制を変更することだ。とはいうものの、1人や2人は率先奮発して仕事を進めようとする者がいないわけではないが、そんなことをしたら誰もが騒ぎ出し糾弾の声は四方から湧き上がり、とどのつまりは官を辞すか、罪に貶められるのが関の山。だから高位高官から下っ端役人まで、ひたすら追従に努め、禍が身に及ぶことを避け、平々凡々と日を送ることが多幸に繋がったわけだ。それは「我封建末(えどのすえ)」の世に実によく似ているのだ。噫。(3月29日)――
かくして「中土百代之弊」の「弊」が浮かび上がってくる。やはり「百度廢弛。綱紀紊乱」は永遠に不滅ということだろう。
中国では役人の世界を官場と呼ぶが、古来、官場には貪官汚吏と清官の2種類しかいなかった。もちろん圧倒的多数は貪官汚吏である。極く僅かな数の清官を探すのは、砂浜に落とした米粒を探しだすより難しい。1949年以来の中華人民共和国の歴史を振り返って見ても、やはり清官は見つかりそうにありませんね。毛沢東が58年に強引に推し進めた大躍進を批判して国防部長を解任された彭徳懷を現代の清官に擬す声があったが、それも文革によって消えてしまった。その彭徳懷も元を糺せば毛沢東の“番犬”であり、であればこそ清官であろうわけがないだろうに。
どうやら人民共和国も含め、歴代中華帝国は貪官汚吏によって築きあげられた巨大官僚帝国ということになりそうだが、「百度廢弛。綱紀紊乱」という「中土百代之弊」を拡大再生産させながらも維持される中華帝国は、いったい、どのような仕組みになっているのか。改めて奇妙奇態で妙不思議と首を傾げるしかなさそうだ。
そうそう、こんな記述も見られる。
――「中土大官」の多くは巨万の富を蓄えて。それを元手に「巨商」は「錢荘(きんゆうぎょう)」を開業する。かくて俗に大官を「商賈金庫」と呼ぶ。(4月4日)――
さすが歴史と伝統の国。ならば共産党幹部も「商賈金庫」でしょう・・・ね。《QED》