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2011年02月14日

奥深き「武士道」

 「武士道」とは何であろう。「潔い」「自己より公」「克己」等々、「道」が付くだけあって奥深い。もともと武士は、武芸に秀で、その力を警備や兵力として、生死を賭けた状況にもなる。そのような極限状態を経験し、心身の鍛錬から生まれてくる思想なのであろうと想像する。

 では、この武士道は、いつ頃から形成されていったのだろうか。
武士らしき存在は平安中期(10世紀)、皇族が臣下に下った、桓武平氏や清和源氏や藤原氏のような軍事を専門とする貴族からはじまる。元来、高貴なルーツを持つ。
平安末期、平家(平氏)により武家政権が誕生し、源頼朝による鎌倉幕府で確立された。平清盛から源頼朝に政権が移行した、平家滅亡の壇ノ浦の合戦で、源義経が敵船の漕ぎ手を狙い撃ちしたことが取り上げられている。この時代、海戦における舟の漕ぎ手は非戦闘員であり、これを射ることは、戦闘でのルール違反として非難される。(勿論、今でも非戦闘員を攻撃してはならない)実際に義経がそれを命じたかは定かではなく、源氏兵が、平家の船に乗り移っての戦闘で船頭らが斬られたという説もある。

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平安末期の武将、那須与一

 いずれにしても、非戦闘員を殺すことは、戦闘ルールに反するという、近代的、戦争ルールの概念が、存在していたわけだ。これからすると、武家政権誕生創世記であるこの時代、殺し合いという極限状態でも、戦闘の品格が備わっていたと考えられる。
 武家は、平将門(桓武平氏)や藤原純友による反乱を鎮圧した勝者が、その後の武家政治を担うことになるが、それら名門武家に対し、地方で所領や部下を持つ武士「大名」が現れ、守護大名として、治安維持の役割を果たすが、中央集権が機能しなくなった戦国時代に、各地域を支配する戦国大名が誕生した。

 それぞれ、源氏、平氏、藤原のルーツを持つようだが、軍事力がものをいう下克上の時代だけに、勝者となってから、武家の系譜を名乗った印象もある。
また、一向宗の一向一揆という異彩を放つ軍事力も現れた。この中には、士豪的武士もいたようだが、多くは、百姓が中心だ。したがって武家のように治安維持での戦闘の歴史で培った概念がなく、例えるなら、リングに、ケンカの強い素人が上がりこんだ存在。
当然、プロボクサーは、そのような者と試合はしたがらないのと同じで、戦国大名も一向一揆は、相手にしたくない存在だったのだが、これにまともに相手をして殲滅しまったのが、これまた異端児の織田信長だ。天運も味方してか、信長の突破力は、将軍足利義昭を京から追放し、それまでの列強戦国大名を桧舞台から引き摺り下ろしたため、没後は、家臣達により覇権が争われる。その家臣達は、柴田勝家や前田利家のように武家素性がよく分からないものが多く、その中で一番素性が分らないというか百姓の豊臣秀吉が、天下人となった。秀吉は、武家の系譜を手に入れたがったようであるが、それにしても織田信長による、家臣のリクルートは、武家政治がはじまる平安末期に比べると、随分、「武士」の系譜が、変わった。

 江戸時代となって、清和源氏と称する徳川家康が征夷大将軍となった。武芸者は、鎧姿から平服での武芸を考案するようになる。柳生が引き継いだ新陰流は、「転(まろばし)」という「禅」の境地や、宮本武蔵の五輪書のように、武芸者がその鍛錬の中から奥義を求め、治世の時代に入り、武芸がインテリとなった。それから250年、欧米列強のアジア進出で、日本も長期における天下泰平の時代が終わり、国の存亡をかけた幕末で、再び、軍事を担う武家の本分が発揮されることになるが、時代は変わり、武士によって、武家政治は幕を閉じた。

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西南戦争の挿絵

 武士道は、天下泰平が到来した江戸時代、軍事的緊張感がなくなり、高潔な人格を尊ぶ道徳性を為政者の武士倫理とした。明治維新が成し遂げられた背景に、個より公を優先する武士道精神があったことがあげられる。明治に入り、新渡戸稲造によって、日本精神の土壌「武士道」という言葉が、定着した。李登輝元台湾総統をはじめ、台湾人日本後世代の方達がいう「武士道」は、新渡戸稲造の武士道だ。ただ、前台北駐日経済文化代表処代表の許世楷氏は、李登輝氏のいう武士道を「刀を持った武士の時代を見たわけではなく、本から学んだもの」という含みのある表現をしている。
確かに、武士がいない明治以降の武士道は国民的倫理観であったが、それはそれでよいと思う。許世偕氏自身も、民進党から国民党政権になったときに、国民党立法委員から売国奴呼ばわりされ、「士は殺されるべくも、辱められるべからず」と、武士道のようなことをいって職務を辞任した。

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5千円札の新渡戸稲造

 「ブシドウ」は、海外でそのまま通じるが、残念ながら、外交で、その美徳は通じない。武士道では、言い訳は見苦しいものだが、主張すべきところは、はっきりと言わなければ、在らぬ濡れ衣を着せられることが、大東亜戦争敗戦により、はっきりした。

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産経ニュース

 日本を取り巻く周辺環境は、「反戦平和」の奇麗事では済まされない。核については、正面から、大いに語るべきだ。


タグ:武士道
posted by 渡邊 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史を眺めて
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