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2011年05月18日

国難に直面したとき

 江戸幕府の崩壊は、日本の大きな転換期であったが、それでも政権が崩壊したのであって国が滅んだ訳ではない。むしろ、国を滅亡させないために崩壊させたともいえる。
 5月3日愛知憲法フォーラムで講師として来られた、エコノミスト田代秀敏氏の話は、「憲法改正」に思いを寄せる来場者には、不評な面もあったが、“責任を背負う”“重要な決定を下す指導者”が、育たない日本の現状分析には、相応な説得力を持つものであった。
 そこで、日本の大転換期となった幕末に、改めてスポットを当ててみた。

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【資料引用:安政東海地震下田での津波】

 幕末日本を襲った天災“安政の大地震”は、1854年12月23日(安政元年11月4日)にマグニチュード(以下M)8.4の“安政東海地震”その32時間後に同じくM8.4の“安政南海地震”が続けて発生し、10ヶ月弱経った翌年、1855年11月11日(安政2年10月2日)関東直下型のM6.9の“安政江戸地震”が発生した。
 この三つを指して「安政三大地震」と呼ぶが、これ以外、この間に伊賀上野地震(M7.4)、飛騨地震(M6.8)、飛越地震(M6.7)が、発生している。
 これを「日本列島の地質学的安定が壊れた状態」と定義し、宝永での東海・南海地震。そして今回の東日本大震災が、この状態にあり、東海、南海、東南海地震が、連鎖的に起こることが警戒される。
 安政地震は、東海、南海、それぞれが、M8.4という大地震だったが、どちらかといえば、翌年起きた、安政江戸地震を指して言われる。近年の阪神淡路大震災と同様、関東直下型というところに甚大な人的被害が起きたからだ。

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【資料引用:黒船来航】

 この頃、黒船が来航、そこへ安政東海、安政南海地震による被災地への復旧事業に加え、江戸が被災してしまうという、多難な時局を迎えた時代であった。
 そこに急激な人口増加が起こった。何故、急増になったかは、謎だそうだが、田代氏は、この人口増があったから、力の増加となり、安政大地震の危機を乗り越えたとするが、同時に、江戸幕府を圧迫したともいう。
例えば、木曽の山林管理を尾張藩が行っていたように、日本の森林は、時間をかけ木材の植林と成長、伐採をバランスよく行ってきたが、人口急増によって、家屋建築が急増し、木材消費が加速され、それまでのシステムが追いつかなくなってきたといわれる。
ひとつのシステムが壊れると連鎖的に社会システムが壊れるように、江戸幕府は、天災、黒船等列強からの外圧、人口急増、それらからくる財政難と、幾重苦に耐えられなくなって崩壊した。

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【資料引用:安政地震でナマズを封印する要石に祈る当時の漫画】

 国難を迎えた日本の生き残りは、それまでの体制から脱却するしかない。
そこで江戸幕府の終焉となる、大政奉還になるのだが、その立案は、坂本竜馬といわれ、それを素早く実行に移したのが、最後の将軍、徳川慶喜だ。しかも、新政権の舵取りは、徳川慶喜本人が行うつもりでいて、坂本竜馬もそのように考えていたといわれる。
 このような展開は、外国では見られない。殊、19世紀の政権は、その座を奪われれば、生命も失うのが常識の時代だ。
ある意味、往生際が悪かったのは、むしろ薩・長の方だったのかもしれない。大政奉還に賛同したのは、徳川慶喜が、拒否することを前提とし、倒幕を想定していたからだ。
自ら、政権を返上した、徳川慶喜とは、公儀政体を目指す点で一致するも、徳川が中心となっていたのでは、新政権とはならず、薩・長は、クーデターを引き起こした後、王政復古の大号令となり、戊辰戦争へと突き進んだ。
能力も軍事力もあった徳川慶喜は、「敵前逃亡」というレッテルを貼られるような不可解な行動をして、戦闘の意義を喪失させたが、江戸城開城後も戦闘が函館まで及んだのは、新政権と旧幕府の互いの意地といったところか。現代日本でどちらかが「悪役」という
 歴史では、結果、幕府が賊軍となったが、この時代の政争は、必ずしも国を売るような行為はしていない。徳川慶喜は、強い権力が手中にあった時点で、列強に内政不干渉を承認させており、また、新政府軍、旧幕府軍、共に、それぞれ、外国からの軍事訓練や武器供与を受けていたが、派兵要請をすることはなかった。

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【資料引用:徳川慶喜】

 これが、双方、私利私欲のためなら、外国勢力を介入させてしまったこともあったのだろう。
明治維新は、国難を乗り越える手段であったが、明治新政府自体、磐石ではなく旧幕府側が、政権、既得権に固執せず、日本の将来を見据えた判断をしたところに大転換が、可能になったことが伺える。
レーガンやサッチャーは、自国の完全没落一歩手前で自国の実情に対し手を打った。それが、国家の危機を乗り越えられた。いわば、明治維新一歩手前で政策を打ち出したのではないだろうか。
 病疫あり、天災あり、刀兵災(他国からの侵略)ありと、日本も大転換が必要な時が来た。指導力、決断力ある人物の待望論があるが、国難に、この国と命運を共にする国民の意志と気概がなければ、それを背負い、立とうとする者も出てこないだろう。



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タグ:国難
posted by 渡邊 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史を眺めて
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