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2011年01月11日

果たせなかった「明け行く満蒙」〜現代に滲む悔しさ〜

 十数年前、友人宅にて「明け行く満蒙」と記された、灰皿を見た。聞けば、靖国神社境内での骨董市で購入したという。かつて日本が、満州そして内蒙古へ開拓団を送り出した頃の記念品ではないかと思う。

 満蒙開拓については、「満蒙開拓青少年義勇軍」を題材にした番組などで、戦後世代も概略知る人もいると思う。
 ただ、結果は、大陸からの帰還、また、それを果たせなかった日本人の悲劇となっただけに「二度と子供達を戦場に送り出してはいけない」という反戦的、ともすれば自虐的になりがちな面も否めない。 勿論、広義での「反戦」は、人類共通の認識であろう。
 極論だが、あの中国にせよ、牙や爪を見せ、それを使用する意思を見せ、軍事的戦闘行為以前に勝つ戦略を立てており、これも戦闘回避という意味においては、「反戦」ともいえる。捕食者として「いかに自己のリスクを軽減し狩をするか」が中国の「反戦」だ。対する戦後、日本での「反戦」は、米国という「生簀」にいることを深く考えず、捕食される立場に身を置き、「平和」を唱えてきた。一口に「反戦」といっても、質は千差万別である。

 さて、満蒙に話を戻すが、今年、1月8日、在東京中国大使館前で、南モンゴル人による抗議活動を行う一報が入った。 「南モンゴル」とは、日本人には「内蒙古」という言い方が通じるかもしれない。
 「満蒙」の「蒙」が、南モンゴル、つまり現在の「内モンゴル自治区」である。
 この抗議行動は、一党独裁国家「中国」からの弾圧を受ける南モンゴル人の人権活動家「ハダ氏」の釈放を求めるものだ。

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【南モンゴル民主連盟代表 ハダ氏】


 中国による、チベット人弾圧が問題化し、北京オリンピック聖火リレーにおいて聖火が通過する国々で抗議行動が起き、その後起きた、ウイグル人弾圧により、日本でもチベットやウイグル(東トルキスタン)での弾圧を知る人は多いが、南モンゴルはあまり知られていない。
 しかし、南モンゴルでの弾圧は、チベットよりも歴史が長く、殊、現在の中共となってから60年の間、民族浄化により、漢民族が80パーセントを占めるに至ったといわれている。

南モンゴルが歩んだ道を、簡単にまとめると以下のようになる。

■ チンギスハーンによるモンゴル帝国
■ 大帝国となった「元」が、中国を支配
■ 「元」の衰退により、モンゴル高原に戻り、「北元」となる(中国は「元」から「明」が支配。明は、万里の長城を延長する)
■ モンゴルは、大きく分けて、西部のオイラトモンゴル(現在のカザフスタン辺り)、ハルハモンゴル(現在の、モンゴル国)、南モンゴル(現在の内モンゴル自治区)の三派となり権力闘争が起きる。
■ 南モンゴルは、満州族(女真族)と共に「明」を倒し、中国は満州族が支配する「清」となる。その後、清は、モンゴルをも制圧。モンゴルは独立を消失。
■ 「清」が衰退し、1911年辛亥革命により「中華民国」が成立、このときにモンゴルが独立宣言をし、南モンゴルも合併を申し出。モンゴル解放戦が行われ、中華民国軍を追放するもロシアにより失敗、その後、外蒙古、内蒙古と分けられ、外蒙古は、ロシア以降のソ連の援助により、「モンゴル人民共和国」として独立(実質、ソ連の衛星国)。その後、一党独裁を放棄し、現在は「モンゴル国」となっている。
■ 日本は、日清戦争、日露戦争を経て、満州での租借兼を得たが、清朝滅亡、中華民国の成立により、租借先が不明瞭となり、1939年、清朝皇帝溥儀による「満州国」、内モンゴルは「蒙古連合自治政府」の成立を援助した。
■ 1945年、ソ連軍の侵攻により「満州国」「蒙古連合自治政府」崩壊。
■ 国共内戦により、中国は「中華人民共和国」となり、南モンゴル民族運動は、徹底的に取り締まられている。

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【中華人民共和国現勢図 赤い部分が南モンゴル】


 中国の軍拡と台頭により、日本国内も、「平和ボケ」からの覚醒が感じられるようになってきたことにより、中国から弾圧を受ける民族解放運動も表面化してきた。その一人である、モンゴル自由連盟党幹事長のオルホノド・ダイチン氏の言葉を紹介したい。

 日本は、アジアの中にあって、唯一、中国と対抗できる大国。かつて、日本は「満州国」を独立させた。南モンゴルも独立したかったが、一歩手前で、終わってしまった。
 中国は、支配地域において民族浄化を行い、今日の南モンゴル、ウイグル、チベットは、明日の台湾、明後日の日本となる。日本は、何のために経済大国になったのか。アジアは、日本にもっと強くなって欲しい、強くなって、中国を止めて欲しい。

 なお、ダイチン氏によれば、中国から飛来する「黄砂」について、モンゴルの遊牧が原因と、世界に情報をばら撒いているが、実際には、中国政府による、農業政策失敗の言い訳として使っているという。

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【左、モンゴル自由連盟党幹事長のオルホノド・ダイチン氏と安倍晋三元総理大臣】
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 悠久の歴史において、モンゴル民族は、ゲルマン民族の大移動の元となった、フン族(匈奴)の移動や大帝国「元」の興隆と滅亡。 その後、満州族による「清」との共闘から制圧されることになり、結果、モンゴル族末裔にとっては、非情なほどに過酷な現在となった。しかし、歴史のどの時点においても、当時の選択肢は、それしかなかったのだろう。

 今を生きる、モンゴル人にとって、主権を奪われたことが、如何なるものかを、歴史的に新しい、日本が満蒙に携わった時代とその後の東アジアの変遷を鑑みれば、自己のみの平和を求めてきた反戦平和の根本である「戦争に巻き込まれたくない」から、「戦争を防ぐ自らの力の保持」へと、意識転換が迫られている。

posted by 渡邊 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史を眺めて

2011年01月10日

今、「岸信介」を理解するとき

 岸信介の履歴を、ここで述べる必要はないので、私なりに今後を含め、思うことを書いてみたい。

 「昭和の妖怪」と異名を持つ岸信介は、戦時中の内閣総理大臣、東條英機が、内閣改造を行おうとしたところ、閣僚の一人であった岸信介が造反し、東条内閣は、総辞職に追い込まれた。
 東條暗殺計画なるものもあったようだが、総辞職となったことで、実行されることが無かったことを考えると、日本の、その後に大きく影響を与えた出来事だったともいえる。

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【内閣総理大臣東條英機(最前列中央)ら東條内閣の閣僚と岸(前から2列目左から2人目)】
資料:wikipediaより

 岸信介といえば、現職総理時代を知る人なら「日米安保新条約」=「安保闘争」が、連想されるであろう。
 孫にあたる安倍晋三元総理が「戦後レジームからの脱却」を唱えたが、祖父、岸信介こそ、それに奔走し、結果が、日米新安保だったのではないかと、最近、特に思うようになった。
 当然、本人が、望む本来の形ではなかったであろうが、敗戦により、日本の置かれた立場、吉田茂からの流れ、そして、日本国内に放たれた左翼運動との闘い、という状況で、近隣に存在する脅威「ソ連」を見据え、何とか、日本をひとつの国家として保つ、そのときの最善の方法だったということだ。
 調印に至るまでの反対派による騒動は、日本を揺るがしたが、それに対抗するため、裏社会の力まで、堂々と動員したところは、今の政治家では想像もできない。
 ただ、安保体制は、この時代の処置であり、その猶予期間に、最低でも日本人の防衛意識だけは、変えなければならなかった。次世代政治家が、それをするべき立場にいたはずなのだが、ところが、それに逆行し、防衛を他人任せとすることにドップリと浸かってしまい、北朝鮮による日本人拉致問題や、尖閣問題などの禍に対応できない状況を作ってしまった。

 昨年10月、李登輝元台湾総統の淡水事務所を訪ねたとき、李登輝元総統は、岸信介の名あげ、「日本の再興を真剣に考えた最後の首相」と言われた。台湾人から見た岸信介は、日本以上に彼の真意が、理解されているようだ。

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【安倍晋三元総理:岸信介の孫。今後も期待したい。写真は自民党幹事長時代に撮影したもの】


 岸信介は、児玉誉士夫らの裏社会から、朴正煕韓国大統領や蒋介石中華民国総統などと、「反共」共闘関係を持っていた。朴正煕は、満州国軍将校であり、蒋介石は日本と戦った中華民国総統。
その後、毛沢東の共産党軍との内戦で敗走したのだから、共産主義の防波堤に位置する者としての自然な共闘関係だろう。
 しかして、台湾での蒋介石の評価は極めて悪い。独裁者であり、それまでの規範であった日本の教育を否定し、賄賂体質を持ち込み、台湾全土に広がった2・28虐殺事件を起し、長年に渡って台湾人を弾圧したことが次々と明るみに出てきた。
 日本が、中共対策として、支持していた蒋介石は、台湾において、毛沢東と同じく、人民への弾圧を行い、反日教育をしていたのである。それが、日本では、「徳を以て怨に報いる」という蒋介石の言葉が独り歩きし、シベリア抑留をしたスターリンに対し、日本兵を早々と帰還させた蒋介石を「寛大」と評したのだ。


 この蒋介石聖人イメージを作った人物の中に実は、岸信介がいる。
ならば、台湾人にとって岸信介は、断じて評価されないことになるのだが、前述の如く、そうではない。その疑問を解いたのが、昨年、お会いした、台湾独立連盟主席、黄昭堂氏の話だ。

 ある時、「蒋介石神話は真っ赤な嘘だが、岸先生はそれを知らないのか」と本人に問い詰めたところ、「それが外交というものだよ」と返されたという。
 岸信介は、蒋介石の腹積もりは、十分承知していたが、大陸を支配し、強大となった中共から台湾を守るためには、蒋介石を持ち上げておく必要があった。そこで、蒋介石神話を利用したというわけだ。
黄昭堂氏は「さすが狸親父」と感心し、岸信介を尊敬するようになったという。
 彼は、続けて「日本人が台湾への親しみを持つのも、その誤解が好いようにはたらいたと思う」とも述べた。岸信介も素晴しいが、流れを善意に解する、黄昭堂氏も素晴しい。
 岸信介は、誤解され、理解されなくとも、信念と責任感で日本の将来を見ていたことが伺える。

 それに比べ、森喜朗元総理は、近年、日本李登輝友の会主催の宴会で、蒋介石の「以徳報怨」演説を引き出して、彼を褒め称えたというから、無知も甚だしい。岸信介のそれは、「方便」であり、今の時代に、同じことを言ったのでは、岸信介の真意の真逆になるであろう。
 岸信介の真意を知る時代に今、来ていることを痛感する次第である。

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【農商務省時代(大正12年)左から良子、信和、佐藤栄作、岸信介、吉田寛の諸氏)】
資料:wikipediaより







posted by 渡邊 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史を眺めて
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